「必殺シリーズ」感想  





1.

私が個人的に好きだったのは、「必殺必中仕事屋稼業」「うらごろし」「仕切人」です。

最も有名なものは、故藤田まこと氏主演の「必殺仕事人」です。この番組は、江戸時代、表向きには平和で安定した時代、武士や特権階級のわるーい人たちが、私腹を肥やし、何の罪もない善良な庶民を苦しめ、もてあそび、そして平気で殺してしまう、というような時代設定です。そんな時代にあって、5~6人で構成する影の集団があります。彼らはお金をもらって人を殺すという「職業集団」なのです。当然ながら、現代的感覚、わたしたちの世界の判断基準から言えば、そういう仕事があるということ自体が人権問題です。私がとらえたいのは、そういうことではなく、このテレビ時代劇の世界観そのものです。

2.悪人が、ものすごく、悪い。水戸黄門の場合は、たんに庶民を苦しめて、利益を上げて笑っているという程度(汚職程度)なのですが、必殺シリーズの場合、庶民を苦しめて、苦しめて、そして殺してしまう、人の命をなんとも思っていないという悪さ(ひとでなし!)が追加されるのです。そしてたいていの場合、最も弱い立場の庶民が、泣いて、苦しんで死んでいくその直前で、それを看取る人に対して「恨みを晴らして下さい」と頼むのです。水戸黄門の場合には、もともと平和な状態だったのが一時的に間違った方向に進んでしまい、それを黄門様が修正し(悪代官を成敗し)再び平和が訪れます。しかし必殺シリーズは違います。善人が、死んでしまうのです。もう、楽しい時間や平和なひと時は、やってこないのです。仕事人はふだんは一人の庶民として生活しているわけですから、困っている人を助けるということもしません。彼らは表の顔の時には、何もできません。世の中が良くなるわけでも、平和が訪れるわけでもなく、出来ることといえば、悪人を殺して恨みを晴らす、ということだけなのです。そういう「暗い話」なのです。水戸黄門の軽い感じの成敗と、必殺シリーズの重い感じの暗殺との違いは、悪人の悪の程度の違いでもあるのです。

3.必殺シリーズのポイントは、金をもらって人を殺すという点です。これは、しばらく見ていると分かるのですが、決して高い金額で人の命を葬るという利潤追求の仕事ではありません。お金持ちが、嫌いな人を殺すために仕事人を利用するということはありません。特権階級、支配的地位の人々は、金でなんでも自分の都合のよいように動かせます。そんな人のために仕事人がいるわけではありません。貧しい人々、苦しめられ、悲しみ、どん底にまでおとしめられた人々が、わずかな金(しかしながら当人にとっては高額)で、依頼するのです。ですから仕事といっても、割にあいません。命の危険を冒すということの対価としては非常に安いのです。仕事人たちは、お金が欲しいわけではないのです。例えば、敵の本拠地に乗り込んでいき、悪い連中を葬り去った時に、小判がざっくざっく出てくるということもありました。それを喜んで拾ってもって帰るということはしないのです。にもかかわらず、金をもらうのはなぜでしょうか?重要なポイントです。かわいそう、という同情で悪人を殺すのではないのです。個人的な感情、私情で、人殺しをするのではないのです。仕事人は、依頼人の心境に同情するべきではないのです。この仕事は表の世界ではなく、裏の世界、裏の仕事なのです。お金を渡す、お金を受け取るというやりとりが入るだけで、それは表の話(1人の人間としての感情)ではなく、裏の世界(冷酷な職業人による職業行為)に切り替わるのです。仕事人は、江戸に住む一人の人間として、ではなく、影の存在として、暗殺するのです。オープニングの白黒写真での描き方はそれを象徴しています。

4.水戸黄門、長七郎江戸日記、暴れん坊将軍それらは、本来ならば、身分の高い徳川家の人間が、それを偽って、庶民になりすまして、人々に近づいていきます。そして悪人を見つけると懲らしめます。その際、自分の正体を明かすのです。「今まで隠していたけど、オレ、征夷大将軍なんだよ~」という自慢?話をするのです。性格、わるいと思いませんか?最もイジワルなのは、黄門様です。悪を倒すことが目的ならば、最後まで正体を隠し通すべきではないでしょうか?悪代官に対する抜き打ちテストみたいなものです。しかも最後は自分の権威で相手をねじふせる。いやなタイプです!もし最初から、良い世の中を目指すのであれば、そんな高い身分にあるわけですから、トップダウンで改革をすることができるはずです。わざわざ庶民ごっこをして、悪代官を懲らしめる。しかも黄門様は、自分のやり方が間違いだったとは思っていません。葛藤を抱えたり、悩んでみたりすることがありません。ひょっとしたら、世の中をよくしたいのではなく、全てが遊びなのかもしれません。
 一方、仕事人は、二つの顔を持っていて、それは混ざることがありません。彼らは深く悩んだり、葛藤したりします。彼らの最大の悩みは、表の顔の時には何もしてあげられないということです。「表の顔」と「裏の顔」二つの顔を持つことは、二つのアイデンティティを持つということです。中村主水の表情の切り替えは、それを象徴しています。それがまたこの番組の魅力なのです。小野寺昭のように、ほんわか優しい存在であっても、顔を隠して暗闇を走っていると「怖い」のです!山田五十鈴のように、どう考えても、ひ弱なおばちゃまなのですが、裏の顔になればめちゃくちゃ強いような気がしてきます。市原悦子が、包丁持って追っかけてくれば、それは、それは、やはり迫力があるのです!イケメン俳優を使わなければ視聴率がとれないというのは、分かるのですが、変身のギャップが少ないので、カッコよく見えてきません。

5.重要なのは「仕掛け」です。カミソリ、紐、かんざし、三味線の弦、等。時としてそのユニークさに関心が向けられます。なぜ彼らはそういう道具を使用するのでしょうか?仕事人の人々が、通常の武器を使用するような、存在ではない、という意味です。ふだんから武器を持ち歩いている立場ではないのです。ふだんは武器ではないものを、裏の顔では、武器として使用するということなのです。紐とか、釣り竿とかで、どうやって殺しているのか、分かりにくいのですが、分かりにくいのでいいのです。本来、仕掛けというのは、どこをねらうか? どういう場面で殺すかという全体が仕掛けなのです。騙したり隠れたりするのも仕掛けなのです。(道具を使えば良いというものではなかったのです)それが成功したり失敗したりするものですから、そのドキドキ感は良かったのです。

6.勿論、上記の特徴は全てのシリーズ、全ての回で貫徹されているわけではありません。掟を破ろうとして仲間に止められる、というケースが多々あります。水戸黄門のような、機械的なパターンとは違います。仕事人の優れて感動的な世界観は、シリーズが繰り返されるにつれて薄くなっていきます。どんどんポイントがずれていきます。嘆かわしいことです。最も酷いと思うのは、仕事人と仕事人とが出てきて、内輪もめみたいなことを続けるというパターンです。恋敵とか、そういうのが入ってくると、もうぐだぐだです。仕事人のカッコよさが失われてしまいます。このドラマの本当の主人公は、町人や庶民なのです。弱い彼らが殺された時点でドラマは一度終わるのです。「ここで終わったらあんまりだよ~」という視聴者の心境にこたえる形で悲しくも攻撃的な音楽とともに、暗闇から登場し、一撃で仕留めるのです。それが仕事人です。仕事人そのもののヒューマンドラマではないのです。イケメンをじっくり眺めるようなドラマではないのです。あまりにも切なく哀しい物語を延々と描いていき、最後の最後で、仕事人登場!なのです。仕事人が職業集団であるから、そこには感情や人格が「薄い」のであり、だからこそ、そこに、人々の悲しい気持ちが重なるのです。仕事人は、悲しさと怒りを背負って登場するからカッコいいのです。ですから仕事人の仕組みとか、仕事人同士の対立とか、会議とか会話とかを詳細に描いてしまうと、かっこよさが半減するのです。キザなセリフを多用し、前半から何度も登場してしまえば、かえってカッコよさが失われるのです。
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Posted on 2012/05/01 Tue. 21:08 [edit]

category: テレビドラマ

thread: 懐かしドラマ - janre: テレビ・ラジオ

tb: 0   cm: 2

コメント

時代劇見るなら?、必殺!

タイトルどおり私的には?、やはりなんと言っても?・ドラマの最初から最後まで少しずつ少しずつ段々と情け無用の?と言っても?、幾らかの人情や義理はあり段々とハードボイルドの時代劇版のゴルゴ13的な見ていてハラハラドキドキのスリル満点の見ていて実に面白いドラマ構成の手法が実に上手く、お子様や一部の老人向けの暴れん坊将軍や水戸黄門などの時代公証がデタラメな時代劇よりも遥かに面白いです。

URL | 通りすがりの赤の他人 #-
2018/11/16 16:15 | edit

通りすがりの方、ありがとうございます。

コメント感謝します。これからもよろしくお願いします。

URL | いもむしごんたろう #-
2018/11/24 16:15 | edit

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