『カメラを止めるな!』低評価が多いのはなぜか  

 私にとっての良い映画の基準は、見終わった後で繰り返し見たくなるかどうか、見終わった後でいろいろと思いを膨らませることができるかどうか、です。本作品はとても素晴らしい作品だったと思います。多くの方々がこの作品を称賛しているので、殆どそこで語りつくされていると思うのですが、私が特に思ったことは、意外にもマイナス評価をしている人が多いということでした。これは本当にビックリでした。映画館で上映された時には観客の殆ど全てが肯定的評価であったのに、数々の賞を取りテレビで放映する頃になると、なぜか否定的評価が半分くらいを占めるようになったようです。私はテレビで見ましたが、見終わった後、「なるほどこれは素晴らしい!」と思いました。ネットで大量に流れている低評価が不思議に思えてなりませんでした。どうしてこの作品をあんなに悪く言うのだろう?その点について考えてみます。まずは私がどこに感動したのかを少し再確認していこうと思います。
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 私は、ホラー映画には全く興味がなく、ホラーを楽しむというメンタリティはありません。(嫌いなわけですから評価は出来ないのです。嫌いな映画は評価が出来ないのであってそこに0点などをつけてはいけません。良さが分かる人が評価をするべきなのです。)しかし本作はホラー映画ではありませんでした。映画という娯楽作品を作る姿、創作についての映画です。冒頭37分はホラー映画ですから、正直見るのが辛かったです。ホラー好きからすればなんともない話なのでしょうが、血が出るとか首を切ると言ったシーンそのものが辛い。真っ当な人間が発狂し、壊れていくシーンというのはもう苦しいだけです。それに加えテンポの悪さとかぎこちなさとかもあって、出来れば飛ばしたいくらいでした。
 最初のホラー映画で描かれたぎこちなさやテンポの悪さは、最後には全て回収する伏線でした。おそらく37分のイライラがあったからこそ、最後のスッキリを生み出している。逆に言えば37分を飛ばして38分目から見ていたとすれば、映画の魅力は減ったかもしれません。最近のテレビは視聴率を気にするあまり、ほんのわずかなグダグダシーンも、残酷シーンも、気持ち悪いシーンも全て排除して、きれいな心地よい話ばかりにしてしまっている。結局はそうなると今度は感動そのものが消えていく。今のテレビは雑音を消してしまって面白くなくなってしまった。私はそう思うのです。この映画の最初にホラー映画を入れるという考え方はとてもよかったと思います。逆に言えば、後でいくら回収するとはいえ、このようなグダグダの面白くない37分を入れているということについてそういうシーンを見たくないと思っている人には低評価なのかもしれません。伏線回収というのも、あっと驚くどんでん返しではないのでその程度の回収であれば…なんて思う人もいるかもしれません。
 さて中盤からは映画製作の経緯です。本当の映画製作の裏側がどうなっているかは知りませんが、やや極端な形でトラブルを描いています。実際にはあり得ないほどの極端なトラブルになっていて、確かにちょっとイラッとするところもあります。例えば日暮真央が映画に夢中になる姿、あそこまで目が怖いとやりすぎな感じもします。山越俊助が硬水と軟水のことでイライラしているシーンもありますが、そんなシーンを見て、不快に感じるのも分かります。そういう場面の一つひとつを見ると不快な気持ちになるのも分かるのです。結局は低い評価をするのはそういう場面一つひとつを見てイライラするのだと推察します。私はそこまでイラッとしませんでした。極端に描いているのはコメディだからであって、このダメ人間たちが、その後なんとかして一つの映画に向けて努力していくというその向かう姿に、私は惹かれるものがありました。
 映画を見ていると、冒頭37分のホラー映画は、中盤のダメ人間たちがトラブルだらけの中で作り上げた作品だったということが分かってきます。生放送の様子を見てすべての伏線が回収されていきます。私は大笑いしながら楽しみながら見ることが出来ました。日本映画によくありがちな、じめじめした暗い雰囲気や説教臭さはありません。(そういえば最近、家族の大切さみたいな映画が多いですね。全く興味が沸きません)ところが「これだから日本映画はダメだ」等と言う人もいて、もう理解できません。
 彼らはなぜ低評価なのか、なぜ賛否両論のような形になってしまったのでしょうか。本作品は、ダメ人間が自分たちなりに模索しトラブルを乗り越えて一つの作品を作るというその姿、例えば高校生が文化祭で劇をするとか、大学生のサークルがイベントを成功させるとか、社会人がよさこいダンスで気持ちを一つにするとか、そういう姿を描いています。そうした姿を見て「ああ、いいなあ」としみじみ思えるかどうかです。私はとても素晴らしいことだと思うのですが、若者が頑張っている姿に価値を見いだせない人にとっては、全て「つまんね」と思ってしまう。
 映画でも舞台でも、一つの作品を作る作業というのはとても大変ですが、高校生や大学生だからこそ本気でぶつかる面白さがあります。結果的に出来た作品がたいしたことなかったとしても自分たちで作ったという達成感でいっぱいになります。途中でケンカになったり、衝突したり、疑心暗鬼になったりしながらも、少しずつ人間として成長していく。成長というよりも、人間としての素直な自分に気づくというか、本性がむき出しになっていくというか、人間としての幅が広がったというか、大きくなったというか、そういう姿です。言いたいことを言えなかった人間が少しだけ言えるようになるとか、踏み出す勇気がなかった人間が一歩踏み出してみるとか、ワガママだった人間が少しだけ周囲のことを考えるようになるとか、そうした変革のようなものを演劇やその他の中で得るのです。映画を作るということそのものも素晴らしいのですが、映画を作る過程の中で人間が豊かになっていく、そこに素晴らしさがあると思うのです。そしてその素晴らしさを、この映画はうまく表現できていると私は思うのです。おそらく低評価の人というのは、そういうことでドキドキしない、もっといえばドキドキした経験がないのだと思います。(私は少しだけ演劇経験がある)低評価の人は、高校生がなんだか楽しそうにしている、大学生が自分たちだけで楽しんでいる、全てが内輪ネタのように見えるのでしょう。本作品を評価できない人というのは、高校生や大学生の時の熱い思いのようなものが欠落しているのではないでしょうか。私には理解できません。私はもう楽しくて、楽しくて。それはただギャグとして面白いというのではありません。映画製作の中でダメ人間たちが集まってぶつかり合いながら、最後は「なんだかんだあったけど、楽しかった」という地点に向かうその姿が楽しいのです。トラブルは思い出になります。失敗は財産です。最後のシーン、ピラミッドが崩れたところでみんなが幸せそうな表情をしているのが私にはとても美しい姿に見えました。彼ら一人ひとりのことが魅力的に見えてくる瞬間です。
 本作品の登場人物の多くは、素朴な人です。どこにでもいそうな平凡な人です。そんな彼らが必死で頑張っている姿に私は感動するのですが、低評価の人は、ふつうのおじさん、おばさんが喋っているその姿がイヤなのかもしれません。映画といえばとにかくイケメンか美女か、びっくりするカッコイイおじさんが登場することが多い。それゆえこの時点でぐっと評価を下げているのでしょうか。「どんぐり」さんなんて私には魅力の塊に見えるのですが、その魅力が分からないのでしょうね。
 低評価の人は、おそらくもっと感動的な音楽と美しい映像を期待するのかもしれません。もっときれいなものを見たい、見ていて気持ちいいものを見たいと思っているのです。ラストのシーンなどは、もっとぐあああっと来て欲しい、そうでなければただの素人映画だ、そんなふうに思っているのでしょう。私は、綺麗な風景と美人と壮大な音楽で感動するという、その雰囲気だけで感動ということこそ、もううんざりです。本当に安っぽい気がします。私は本作品の感動押しつけではないところがとても気にいっています。(本作品を家族愛だなどと言っている人もいましたが、それはあり得ません。家族愛なんてどこにも登場しません)最近の映画はとにかく「泣け」「泣け」うるさい。人物がカッコつけてばかりでキザなセリフが多くて恥ずかしくなる。演出があまりにも過剰すぎて、気持ちが乗らないのです。ですから本作品のような素朴さがとてもいい。まっすぐで純粋で、とても気持ちがいい。私も映画や舞台づくりに参加したい、そんな思いになります。
 本作品を評価している人の多くが伏線回収を挙げています。しかし本作品の最大の魅力が伏線回収にあるわけではありません。私は「伏線回収」「あっと驚く大どんでん返し」の映画は大好きです。私の好きな作品『マルホランドドライブ』も、『トゥルーマンショー』も、『メメント』や『シャッターアイランド』も、『ディアボロス』や『シックスセンス』なども、最初に提示した世界観が、後半ではひっくり返っていきます。しかしそれはひっくり返ったから高評価なのではなく、そのシステムを通して表現しようとしたものがあったから高評価なのです。本作品はどうしても伏線回収の部分に焦点があたり、みなその部分を取り上げて評価していきますが、この映画の本当の魅力は、伏線回収そのものではないのです。伏線回収で表現しようとしているものが強烈だからです。本作品の伏線回収は「みんながなにげなく見ている映画もその後ろには様々なドタバタとドラマがあるのですよ」という点を表現しています。若手の俳優や演劇人たちが、なんとかして面白いものを作ろうとするその姿なのです。映画の後ろにもう一つのドラマがある。私はそれを美しい姿だととらえます。本映画をつまらないといっている人は、映画を作る、舞台作品を作るというその魅力そのものが分からない人なのでしょう。彼らは本作品に「あっと驚く大どんでん返し」「複雑な謎解き」を期待してしまう。蓋を開けてみるとただ演劇人のドタバタだった。それが分かると、「なんだその程度か、つまんね」と思ってしまう。
 本作品が意外にも低評価が多いのはなぜでしょうか。それはどんな作品なのか、どこが魅力的なのか一見したところ分かりにくいからだと思います。表向きはホラー映画であって、しかしホラー映画ではないという伝聞でみな映画を見ることになります。中身が分からないので、圧倒的なスケール、壮大な音楽、優れた映像美、カッコいいカメラワーク、感動的なヒューマンドラマ、大どんでん返し、などを期待していく。映画ではそんなものは描かれていません。低評価の人は、この映画の本当の魅力に気付いていないと同時に、自分の期待するものが見られなかったから不満だったということで低い評価をつけてしまうのです。「自分には良さが分かりませんでした」「誰か解説して下さい」と言えばいいところを「つまんね」「時間の無駄」等と言ってしまう。それは自己満足を得られなかったという愚痴です。「評価」でも、「批評」でもありません。自分には作品を受け止めるだけの豊かな感性がないと公言しているようなものです。
 続編を期待したいところです。私が期待するのは「恋愛映画」「熱血教師の学園ドラマ」「特撮ヒーロー映画」等のベタ映画を最初に37分見せて、舞台裏を描いていくという、まったく同じ論法で違う映画を撮るとよい。そんなに金はかからないはずです。金がありすぎたり、スポンサーがうるさくなればなるほど、出来なくなってしまいます。後ろに企業がつくといいことはありません。有名な俳優を出したり、ヒット曲を狙ったりすると制約だらけになってしまいます。失敗してもいいから好きにさせて欲しい。その空間の中でこそこういう素晴らしい作品が出来上がると思います。
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Posted on 2019/03/11 Mon. 22:19 [edit]

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