『西遊記パート2』感想  

image[d3]

先日、西遊記パート2を全て鑑賞し終えました。やはりとてもいいですね。以下はその感想です。
 全体としては、ギャグ路線の回が多くなったという印象があります。深みの無い、ふわふわした回が見られたことは確かです。その一方で、味わい深い名作もかなりありました。(私が特に好きなのが4、10、14、15、17、18、22、25あたりです)パート1に比べて、敵が単体で登場することが増えました。雑魚の兵隊があまり見られなくなり、それによって筋斗雲による空中戦が増えました。これには賛否両論あるかもしれませんが、私は否定的です。人形を使った特撮は良いのですが、悟空が如意棒で大勢の敵をばったばったと倒していくというアクションシーンがカッコイイと思うのです。さあ、いざ戦いだ、といった際にすぐに筋斗雲に乗ってしまうとげんなりしました。なお24話の戦闘シーンはとてもカッコ良いですね。(その後には筋斗雲に乗ってしまいますけど。)25話では、敵と戦う直前の、枯葉が舞うところの悟空の登場シーンがカッコ良かったです。
 恋愛の要素が増えたようにも思えます。登場する俳優たちがイケメンではないというところがいいです。イケメンの恋愛は見ていてげんなりしますが、ここでは普通の凡人が心をときめかせ、最後は実らないという寅さん的な良さがあります。私は楽しめました。
 カメラワークの良さから挙げていきましょう。固定カメラで全体像を撮るという撮り方は、本作でも十分に発揮されています。今の画面と違ってヨコが狭いはずなのですが、その狭い中でも多くの人数が映るようにしています。手前と奥とでその空間を表現しています。かなりの時間をそこで固定するので相米慎二監督作品のようなリアリティが伝わるのです。3話のラストでは八戒が反省しているので遥か後ろの方を歩いている、という姿が描かれています。4話のラストも同じです。遥か後ろの方に一行を見送る分数妖怪が見えています。主人公たちは気付いていませんが、視聴者は「後ろで分数妖怪が見守っている」と気付きます。17話では三蔵たちが話をしているのを遠くから中尾彬が狙っている。しかし話の中身を聞いて中尾の表情が変わる。そんな複雑なシーンがこの一つの画の中に収まっているのが素晴らしいと思います。22話の悟空たちがお転婆姫を責めるシーンがありました。お互いに向き合って喋れば同じ画に全員が入ることは困難です。姫が背中を向けていじけているということにして、固定カメラで全員の表情が映るようにしています。こういうのがとてもいいと思うのです。
 芥川隆行のナレーターはとてもいいですね。9話のラストで不満からワガママを言いたい放題の沙悟浄を眺めながら「この分だとあと少し時間がたてば戻るでしょう」的なナレーション。20話のラスト。絵から飛び出した弁天は、本物の弁天ではなく影だ、という話でしたが、この回の最後「本物なのでしょうか。虚構なのでしょうか。テレビでしょうか」といったナレーターが良かった。25話では悟空のメロメロになっている気持ちを芥川が述べていきます。悟空の気持ちを言葉にできるのは芥川だけです。ナレーターは視聴者が分からないことを伝えているのではありません。視聴者が感じているその感情を、優しい言葉に変換して表現するのです。素晴らしいと思います。
 八戒についてです。パート1の西田敏行があまりにも強烈だったので左とん平への移行は非常に心配されたはずです。確かに西田のような強さはありませんが、左とん平もまたなかなか良かったです。西田の中から出てくるのが「女性らしさ」というのに対し、左の中には「女性らしさ」は全く感じられず、その代わりに「少年らしさ」が入っています。眺めていると本当に子どものような純朴さがあります。3話ではギャンブルにのめり込んでしまい、あろうことか三蔵を賭けてしまいました。すぐにいじけるし、腹を立てます。でもすぐに忘れます。17話は猪八戒の恋が描かれました。左とん平の八戒は、あまりぐいぐい押しません。いざチャンスが巡っても、逆に恥ずかしがってしまう。まるで思春期の入り口のような少年らしさですね。最後の別れのシーンでは、特に八戒の感情表現はなかったのですが、さりげなく悟空が涙を拭いていました。いいですね、こういうの。結局は西田は感情表現が優れていたのですが、左の演じる八戒は感情表現が下手なのです。ちなみにこの時、盲目を演じた女優は村田みゆき。とても良かったです。中尾彬の雰囲気もとても良かったです。残念なのは戦いのシーンですね。中尾を含めた戦いのシーンに期待するのですが、筋斗雲に乗って遠くへ行ってしまう。
 玉龍についてです。メンバーの中では最も女性的で優しい存在として強力な存在感を出していました。18話、20話あたりでも強い存在感を出していますが、もっとも発揮されたのは22話です。何が言いたいのかよく分からないようなおてんば娘の心の内に入ることが出来たのは、三蔵ではなく玉龍です。三蔵は慈悲の心ですが、玉龍は共感の心です。その違いはよく表現されていました。また白馬についてですが、パートⅡでは他のメンバーが白馬に乗るというシーンが多く登場しました。9話のラストでは沙悟浄が白馬に乗ります。18話のラストでは悟空が白馬に乗ります。どちらも彼らをいたわっての行為です。最終話近くで八戒も白馬に乗ります。悟空が「降りれよ」と言うと八戒は「俺、降りれねえんだよ」と答えていました。本当は降りたくないだけです。
 沙悟浄についてです。相変わらずのクールさがよく表現されています。13話で女性が「どうか見逃してください」と懇願する際に、それを淡々と否定する沙悟浄の姿が面白かったです。玉龍と違って、あまり感情に流されないのです。次の村では自由行動が欲しい等と主張したこともありました。10話では沙悟浄の恋愛が描かれます。峰岸徹(九霊大仙)の強引さと沙悟浄の誠実さが対比的です。自分は悟空に比べれば弱い、しかし同じカッパを救いたい、という真っすぐな心。その心に女性が惹かれていく。九霊大仙は男性心理をうまく表現できています。女性の心を強引に動かそうとしてしまうのです。
 三蔵についてです。三蔵の慈悲の心がよく描かれていたのは14話です。それ以外ではあまり三蔵の人徳は描かれませんでした。悟空が既に豊かな人間性を手に入れていたので厳しく叱責する必要もなくなっていたのです。西遊記のような長い物語では主人公たちが成長してしまうと物語の構造が壊れてしまいます。ですから成長しているように見せかけて、やはり成長していない、という描き方が必要になってきます。三蔵もまた、時折一方的で融通の利かない姿を見せます。むしろ三匹の妖怪の方が人間の気持ちが良く分かっているなあと思うこともあります。18話で悟空が芝居で村人を襲うというシーンがありました。これまでの悟空の姿を想起すれば、すぐに気づきそうなものですが、今回は悟空の心境が分かりませんでした。巨大化した悟空を見て理性が吹き飛んだのかもしれませんね。26話(最終回)では三蔵の母親が登場します。修行のため旅を続けるという使命感と母親に対する慈愛の気持ちとが衝突するというシーンです。最後の最後で再び悟空を責めてしまいます。一番修業が必要なのは悟空や悟浄ではなく、三蔵だったのかもしれません。
 孫悟空についてです。21話では自分に母がいないということでいじけるシーンがありました。能力もあるし、水蓮洞には手下もいるのですが、こんなところに弱さがあったんですね。18話のせんだみつおの回は最高傑作です。元ネタ「泣いた赤鬼」よりも遥かに良い作品となっています。プライドもあるから本気で戦う、と言いながらも手加減するあたり、悟空の優しさがよく描かれています。25話では悟空の恋愛が描かれています。メロメロになってしまう悟空がよく表現されています。市毛良江は美人ではないのですが、笑顔がとても素敵です。三蔵とかぶらないような配慮もあるのかもしれません。市毛の言葉、強いイコール暴力、というのは悟空にとってはアイデンティティを傷付ける言葉でした。悟空にとっては強さとは正義の力なのです。市毛は決して自分の良さを認めることはない。それに気づいた時、恋愛の熱が冷め、元の自分に戻ることが出来たのです。三蔵のもとに帰ってきた時の悟空の表情がとてもいい。全てを見通した三蔵もいい。物理的にも遠くから帰ってきたが、精神的にも遠くから帰ってきたのです。恋愛を経験すると紳士的になれます。それがよく表現されていました。ちなみに25話で使用された音楽は中国風。いつもとは雰囲気が違っていました。
 メンバーたちが談笑するというシーンはとてもいいですね。みんなの気持ちは一つになっているのです。17話では、4番目の弟子が加わるなんてことが起こりました。悟空たちは三蔵のあまりにも強い怒りに対してはブレーキをかけようとするのですが、4番目の弟子なんて話になればそんなのは嫌だと思うのです。3匹の気持ちは一つでした。18話のラストのみんなの笑顔。22話のラストでも5人揃って談笑するようなシーンがあり、なんだかその笑顔で泣いてしまいそうです。
 他にも印象的なシーンがありました。4話(分数妖怪の回)はいわば「走れメロス」でしたが、太宰作品よりもこっちの方が上ではないかとさえ思えます。人々の残酷さがよく表現されていました。6話はまるでエクソシストでした。8話では、八戒と玉龍が内部に潜入するのですが、失敗だらけで、ぐちゃぐちゃにしてしまうあたりがいい。男はこうだ、女はこうだといった昭和の頃のジェンダー観が全開です。今見ると偏見とか差別等と言われかねない内容ですが、私は温かなものを感じます。
 家族がよく描かれていました。12話の天人老婆がいい。14話で登場する妖怪は、自分が息子夫婦に愛されないからといって他の若夫婦を不幸にしようとします。なんとも人間臭いですね。本当の問題解決とは、敵を倒すことではなく、愛を与えることなのです。15話では父親が描かれています。父親の妖怪は娘の理想の結婚を求めて画策するがすべて失敗する。落ち込む姿はなんとも人間臭い。
 悟空たちが天竺に行く目的が「人間になる」ということになってしまっていました。パート1の最初のところではそういう意味は無かったのですが、パート1の最終話になるにつれて人間になりたいという話が登場しました。パート2でも少し触れられていたようです。これについて私は否定的です。結局のところ、24話では若干触れていましたが、最終話になるまでメインテーマにはなりませんでした。それでよかったと思います。
スポンサーサイト



Posted on 2018/10/21 Sun. 21:52 [edit]

category: テレビドラマ

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://kazeandsoraand.blog.fc2.com/tb.php/814-0268b319
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

カテゴリ

最新記事

最新コメント

お客様

検索フォーム

リンク


▲Page top