『西遊記』感想(2)  

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 西遊記の感想の続きです。
 大抵の場合、村人は苦しめられ、妖怪たちは悪いことをしている。そうですね。これは水戸黄門のような、時代劇によくあるパターンです。昼と夜が分けられていたり、日照りが続いてこまっていたり、男の子を食べてしまったり、とにかく妖術のおかげで、人間には手も足も出ない。そんな姿が描かれます。基本的には妖怪は残酷です。三匹もそうですが、あまり正義感とか理性とかいったものはありません。妖術を使えるので理性なんかは不要だったのでしょう。妖怪が登場するのはホラーっぽさもあります。特に中尾彬は、やはり強烈です。人間同士殺し合いをさせて、それを楽しんで眺めている、なんて残酷なシーンもありました(23話)。一方、真面目な村人がよく登場します。妖怪に立ち向かおうとする勇敢な村人もいました(12話)。国王が妖怪にのっとられるととたんに国が荒れてしまう。そんな光景もよく描かれていました。村人の中で、一番印象的だったのは、あの老婆です。17話です。気が強くて文句ばかりいうので他の村人からは嫌われているようでした。
 悪者妖怪は、一見するとめちゃくちゃ悪いように見えます。たんなる悪者もいますが、人間らしさ、弱さを備えた妖怪もいます。いいですね。妖怪というのは悪魔ではない。人間らしさ、弱さを見せてくれます。三蔵がそこに慈悲の心を向けていきます。妖怪の中で印象的だったのは、16話、長門勇が演じていた独角大王です。24話の牛魔王もよかった。女性の心をうまくつかめずに悩んでいる姿はとてもいい。何か個性的で人間的。とても味わいのある妖怪です。
 2006年版にはそれがほとんどない。村人の生活感や息遣い、妖怪たちの心の悲しみなんかは描かれない。主要登場人物たちの仲間内の心と心の会話のようになり、スケールが小さく感じられました。
 1978年版は、ファンタジー的要素が強かったようです。妖怪が人間に化ける、妖術を使って相手を騙す、妖術が失敗してばれてしまう。豚を食べてしまうとか、豚や河童に戻ってしまうとか。妖術を使って雨を降らすとか。たくさんの兵隊を作り出すとか。そういうのがよく描かれていました。妖怪が人間に化けるといえば、14話です。八戒の偽物が登場するのですが、頭の帽子の部分が水色になる。演じているのは西田敏行ですが、なんだか不気味に見えてきます。ハラハラドキドキさせてくれます。いいですね。こういうの。2006年版にはファンタジー的要素は殆ど無くなってしまう。
 ヒーロー物としてもよくできていました。3人の戦士が善人を守るという形式はわりと基本です。ゲッターロボやアクマイザー3のようなものを想起します。西遊記と最も近いのは『ガンダム』です。パワーの比でいえば、悟空6、悟浄3、八戒2といったところでしょうか。ガンダム、ガンキャノン、ガンタンクといった対比は同じような方向性を感じます。それが面白い物語の基本的な形なのかもしれません。
 撮影の技術、演出についても触れておきたい。
 当時としては最先端の映像技術です。人形とか煙とか。特撮というのはとてもあたたかく見えます。本来ならばCGの方が映像としてはしっかりしているはずなのです。しかしCGよりも特撮の方がいい。人形を動かしている人がいるということを思うからなのでしょう。むしろ私たちは、製作者たちの努力を感じる。本作では、妖怪というのは派手な化粧によって表現されています。わりと安っぽいようにも見えるのですが、それでよいのです。結局のところ、私たちはこういう映像を見ると、舞台を見ているような心境になるのです。舞台とは観る側が想像力を働かせなければならない。こういう作品を見る時には、こちら側も真剣に想像しながら見ようとするのです。CGは使えるとしても使わない方がいいと思います。
 カメラワークが良い。おそらく予算がなかったからなのかもしれませんが、一台のカメラを固定して、長回し的な撮影をすることが多いのです。引き気味で全体をとらえる。これがとてもいい。画面の中に動きを収めるためには、振る舞い方やポーズや配置を考えなければなりません。最もカッコいい形を追求する。一台による長回しは相米慎二監督の映画と同じように、リアリティを表現できます。カメラを3台、4台使用すれば、その都度その表情は動きをとらえることができますが、そのことによって「アップの多用」「コマ切れ」となり、結局のところ、臨場感やリアリティは減っていく。
 個人的にはアクションシーンが好きです。「堺正章がうまい」ということにもなるのでしょうが、時折、沙悟浄、八戒もかっこよく戦うことがあります。大きな棒をびゅんびゅん振りまわす。そこがいいのだと思います。2006年の内村沙悟浄は、技術的には素晴らしいのですが、こまごましていて迫力に欠ける。2006年版は、いっそう広い場所でアクションシーンがあるのですが、なぜか比べると「いまいち」なのです。広すぎるのです。しかも高いところから全体を撮影するので、なにか寂しく見えるのです。一方、堺正章バージョンは狭いところでドタバタやっているので、動きが大きく感じます。カメラは人物と同じ目線で撮影しているので重なって見えます。つまり手前に敵がいて、奥に悟空がいる。時代劇のチャンバラみたいで、こっちの方がカッコイイ。特に9話。低い位置でのカメラ固定で、バッタバッタ倒していく姿はなんともかっこいい。
 どこで撮影したのでしょうね。6話までは、撮影所というのは分かります。7話で使用しているこの場所は、どこでしょうか?中国ではないということですから、ほかの映画か何かの撮影現場だと思われます。おおがかりなセットですね。19話や25話などで頻繁に用いられるこの大きな寺院はどこでしょうか。ぜひ行ってみたいところです。部屋での撮影についても、真横からのカメラ固定で撮影しているので雰囲気が出る。2006年版は、広い部屋で、部屋全体を写そうとするので、逆にスタジオっぽく見えるのです。2006年版はとにかく綺麗すぎるのです。1978年版のようなちょっと見えにくいくらいの雑然とした映像の方がいかにも中世っぽくていいです。
 芥川隆行のナレーションがよい。冒頭「この世に人間が現れる、遥か前、世界は一つとなり、どろどろと溶岩のように漂い流れておりました。…」というしゃべり方がとてもよい。芥川の喋りは、お客様に楽しんでもらおう、物語の世界に引き込もうというパワーを感じます。芥川のセリフが特に生きてきたのは20話です。豚を食べてしまった際、それは八戒ではありませんよ、なんていう説明をかぶせていました。ひょっとしたらこれは八戒か?と思っていた子どもはどれだけ安心したでしょうか。芥川の説明はとてもいい。三蔵はまだまだ修行の身、未熟でありました、なんて言葉もありました。物語上こんなことを言えるのはナレーター芥川だけです。西遊記の世界と視聴者の間に立って、盛り上げてくれている。昔の「講談」のようです。やはり本作は舞台に近い。ちなみに芥川の喋り方は、水戸黄門の時よりも、軽い(高い音)感じですね。意図的に作品に合わせて喋っているようです。21話の終わりのナレーションは印象的です。結構いろんなことがあったはずなのに、人物たちのセリフがないまま、再び旅に向かうシーンで終わる。最後のナレーションで「彼らは一体どんな思いだったのでしょうね」というように重ねていました。それはとてもよい。人物たちのセリフで説明するのは野暮だ、という時にはこうやって省略するのです。とてもいい。これに比べて最近のドラマは全体的に説明がすぎる。人物が1から10まで全部喋る、よく泣く。そういうのは視聴者が推察する余地を与えない。結局は面白くないのです。
 オープニングの不思議な世界観はいいですね。モンキーマジックのカッコ良さ。終わった時の静かな風景とガンダーラ、それが物語全体を包み込んで一つの世界観を作っていく。中国っぽい旋律を入れながらも、ファンタジックな色彩をうまく表現しています。音楽と内容とが見事にマッチしていて素晴らしいですね。殆ど同じBGMの使い回しですが、それでよい。「thank you baby」は泣けます。2006年版は、よくも悪くもいろんな音楽を入れてしまっているのです。それによって印象はぼやけてしまう。普通のドラマのように思えてきて、唐の時代の中国ではなく、最近の日本だと思ってしまう。
 今見たら1978年版は、わりとドギツイ言葉を使います。ケンカの際には悪口三昧です。食欲と性欲、暑い時の苦しみ、美しい女性への憧れ、それらがストレートに表現されています。ブスとかババアといった言葉が出てくる。最近は自主規制もあって殆どそういうのを聞きません。今では、セクハラとか、差別だとか言われそうですね。私は1978年版のキツイ言葉は、これでいいと思います。キツイ言葉ではありますが、こういうふうに思ってしまうという人間の本性をよく表現しています。彼らが汚い言葉を使っているのを見て「あ、こういう言葉は良くないなあ」なんて自戒を込めて思えるのです。汚い言葉は、私たちの日常生活から駆逐してもよいが、映画や文学の世界では残しておくべきだと思います。そして現実世界ではそうならないように気をつける。それでよいと思います。最近のテレビやドラマはそもそも人間の本性を描いていません。極端にかっこつけていたり、極端にぶりっこをしていたりするのです。私はテレビに登場するアイドルに人間的魅力を感じません。
 最近はこういう素晴らしい作品がなかなか出てきませんね。もはやテレビには期待できないのかもしれません。本当に素晴らしいものは、ビデオや映画、舞台のように、お金を出してみるものなのかもしれません。悲しいです。1978年の西遊記は、いろんな要素を含むエンターテイメントです。人情物のドラマのようで、SFのようで、ファンタジックで、コメディのようで、ホラーのようで。いろんな要素が含まれている総合的な芸術です。
 余談になるかもしれませんが、三蔵は男という設定です。煩悩を捨て去るための修行中ということになっています。しかし実際にはびっくりするほどに美しい女優「夏目雅子」です。物語中に登場するどの美女よりも、圧倒的に美しい。丸坊主で、固い話ばかりしている男性という設定ですが、それでも美しい。このアンバランスが良い。作品の素晴らしさというのは、製作者や役者たちの努力と工夫によるものだと思うのですが、夏目雅子の美しさと堺正章のテクニックというのは、天性だと思います。
 パートⅡはまだ見ていませんが、これから見ます。西遊記の素晴らしい世界を堪能したいと思います。
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Posted on 2018/08/29 Wed. 22:05 [edit]

category: テレビドラマ

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