『ごめんなさい』感想  

(作:中川 ひろたか、絵:長新太、偕成社、1999年)本書では奇想天外、ありえないことが次々と起こる。車が家にあがりこんでごはんを食べる。神社の鳥居が街の中を歩き回る。最後の頁。車や鳥居や掃除機がみんなぺこんと頭を下げて謝る。「ごめんなさい」おそらく本気で謝ってはいない。迷惑をかけたという意識はあるが、半分は楽しんでいる。この微妙な感じが良い。ルールと常識に縛られた真面目な大人は不快になるだろう。しかし人間の人生の最大の目標は、秩序を守ることではなく、秩序を壊してもなお、笑っていられる幸福さにある。溢れる想像力を楽しもう。そう思えば「ごめんなさい」も言える。
 「謝る」というのはどういうことでしょうか?何か間違ったこと、迷惑をかけたこと、ズレたことをした時に、謝るのです。この絵本で登場する「間違い」は、奇想天外、ビックリする話ばかりです。 車が人の家に上がりこんで、ごはんを食べる。 お地蔵さんが、土俵に上がってお相撲さんの邪魔をする。 大工さんが車や家具など何でも打ちつけてしまう。 神社の鳥居が街の中を歩いてまわる。 掃除機がゴミではなく人間のおしりを吸いこんでしまう。 父親が、赤ちゃんの哺乳瓶を勝手に取って飲んでしまう。そんな摩訶不思議な話、あり得ない話が次から次へと現れてきます。冒頭の文章には「まちがって わるいことをしたり、ひとにめいわくをかけたときは 『ごめんなさい』って いわなくちゃ」とあります。みんないっしょに、ごめんなさい!登場した全ての間違い人間(あるいはモノ)が、一斉に謝ります。
 この絵本は、謝ることが大切だ、というふうには言っていません。最後の謝り方は、むしろ楽しんでいるように見えます。漫才でボケとツッコミとがありますが、ボケた後には、ツッコミが必要ですね、という程度の意味です。この絵本が強調しているのは、逆にボケの必要性です。現実の正しいことばかり考えていても楽しくありません。神社の鳥居を見て、「大きな鳥居だなー」とか「歴史あるんだろうなー」という程度の思考では、人生楽しくありません。「これが街の中を歩いたら大変だよね」なんていって笑い飛ばしてみればとても楽しくなるのです。ただ、世の中には真面目な人もいます。「お前! 神社だぞ! 神様だぞ! お前は何を言っているんだ!」といって怒る人もいます。そんな時には「おいおい、そんなこと、あるわけないよなー」と言って否定しておけばいいのです。子どもの頃には誰でも持っていたと思います。食事をしている時にふと窓の外を眺めると電車が走っています。「あの電車がこっちへ入ってきたらビックリするよねー」なんて想像できれば、なんと素敵なことでしょう。大人は「何バカなことを言ってるんだ」と言うでしょうが、想像力、空想力は人生にとってとても大切なものです。
 この絵本を眺めていると、勝手な想像で、うそをついておいて「謝る」「どうも、すいません」そういう軽さが私たちの人間社会をよりよくしていくと思えてきます。長新太のガッツリした絵も印象的です。少し話がそれるかもしれません。男性と女性とでは、謝り方はずいぶん違うようですね。一般的に男性というのは、「謝る」=「二度と同じミスを犯さない」と深刻に、重く考えるので、なかなか謝りません。女性は「なんで、私がこんなに傷ついているのに彼は謝らないのかしら」と思います。しかし彼は自分には非がない、自分は悪くないと思っているのです。ですから男性が涙を流して謝っている時には、 1 演技 2 自分の人生を全て否定する深刻な状況のどちらかです。一般的に女性というのは、「謝る」=「相手の気持ちに応える」というふうに考えるので、簡単に謝ります。男性は「なんで謝っているのに同じミスをするのだろうか?」と思います。彼女は自分自身を反省しているのではなく、相手の気持ちのために謝っているのです。ですから女性が謝っているのは、相手とのコミュニケーションを維持しようという意思があるからです。全て演技であって、全てホンキです。
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Posted on 2012/03/11 Sun. 10:13 [edit]

category:   2) 意味不明の世界

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

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