「真田丸」最終話まで見て思うこと。感想。  

 一応、全部みました。大河ドラマを見るのは久しぶりです。私が最後まで見ようと思ったのは、1話が面白かったからではなく、50話全体で面白くなるだろうと期待したからです。今年くらいは名作が見られると期待していました。結局は最後までダメでした。
 一見すると、とてもよく出来ているように見えるのです。ドラマとしては十分なのです。面白いと思うのです。しかし、…ダメなのです。改めて、真田丸のダメな点を(私なりの考えですが)まとめてみたいと思います。
1)ナレーターが余計なことを喋るという点。(黙っておけばいいのに)
 当時の社会的状況などを説明するのはよいと思うのですが、未来にどうなるこうなる、ということを喋ってはダメです。私は、少なくともリアルタイムで現実を見ているような気持ちでいたいのです。これは私だけでしょうか。最終回では片桐勝元が出てきました。その数回前に、ナレーションで片桐が死んだことになったはずです。こういうのは本当におかしい。
2)音楽BGMがうるさいという点。
 特に最終回に近づくとガンガン壮大な音楽が流れる。「はい、ここで感動して!」と要求されているように思えるのです。もっと私なりの感じ方をしたい。BGMがうるさい一方で、そのわりに城の周辺や町の様子などの雑音が聞こえてこない。スタジオのように静かなのです。後ろにいる人々に少しずつセリフを与えて欲しい。なぜみんな黙っているのか。それが気持ち悪かったです。
3)コメディタッチで描かれているという点。
 一気に気持ちが冷めてしまいます。どうも、一回の話で必ず一回は笑わせようとしているようなのです。私は笑いたいという心境ではありません。これは戦国時代なのです。過去の名作を重ねてパロディにしているようなシーンも多かったように思えますが、本当に小バカにされているような心境です。特に「人の死」を冗談風に描くのは、本当にやめて欲しいと思います。
4)女性が全面に出ていて、現代語で、しかも現代人の感覚でしゃべりだす点。
 これは女性視聴者に媚びているのですか?現代的感覚の女性が積極的に登場するということで、女性視聴者は喜ぶのでしょうか?歴史の中で女性が埋もれてしまっているのは事実です。そして実際には男性を動かしていたのが女性だというのも、おそらくは事実です。しかし本作ではストレートに、まるで女性が男性のように大きな存在感を出そうとしているのです。それは違うと思う。現代風に描くことで、逆に「戦国時代における女性の力強さ」は描けなくなってしまっていると思います。
5)主人公や主要登場人物だけがずっとべらべらしゃべっているという点。
 部下、雑兵、農民たちの気持ちや生活が全く描かれていませんでした。不要だと思っていたのでしょうか。生活の苦しさや人々の息遣いなどを削除して、歴史を語っていいのでしょうか。本作では、上下関係というか、身分というか、そのへんの感覚がかなり削除されています。それゆえ恩義とか、尊敬とか、信頼といったものまで消えてしまうのです。この時代ですから「指示」「命令」が絶対的な意味を持つはずなのに、部下に命令をしているシーンが極端に少ない。それゆえ登場人物たちが偉い武将に見えてこないのです。信繁は、世渡り上手なサラリーマンに見えてきます。大勢の部下を前に、力強いリーダーシップを発揮してほしい。この時代なりの「つながり」を描いて欲しい。
6)会話が「ある意味」において奥深いという点。
 秀吉をめぐる周囲の会話は、細かな部分がよく出来ていました。表情とか演技力がすごい。一流の俳優がたくさん登場しています。そこを取り上げてすごいということもできるのです。しかし私にはそこに力を入れても50話全体の感動とは直接つながらないと思います。認知症の秀吉のシーンは必要だったのでしょうか。本作の会話は、常に「意外性」「驚き」を含んでいます。それゆえ登場シーンは立派で衝撃的なのです。いかにも人物が「すごい人物」であるかのような雰囲気だけが描かれていくのです。しかし結果、何もすごくない。普通だったりするのです。期待をさせるように登場するのですが、死ぬ時はあっさりです。
7)人物の方が運命よりも優位であるかのように描いている点。
 本作では、人物の能力やインパクトをあまりにも大きく描こうとするのです。演出ですかね。しかしながら実際には歴史は、殆どが運命のように流れてしまうのです。雑兵とか民衆の動きが大きな流れを決めてしまうと思うのです。本作はいかにも人物たちが歴史を動かしているかのように描くのですが、50話全体でながめると、なんだかみんな「口ばかり」というふうに見えます。逆にかっこわるい。
8)合戦のシーンが極端に少なく、「死」「名誉」などが殆ど描かれないという点。
 子どもに悪いとでも思っているのでしょうか?私の考えでは、子どもに戦争の悲惨さを伝えるべきです。グロイからといって避けてはいけません。ヒューマンドラマのように描いています。「死」を、できるだけ深刻にしないように徹底的にふわふわと描いているようなのですが、死をギャグにしてはいけません。最終回での幸村の自決シーンが描かれないのはなぜでしょうか。自決シーンを見て、「可哀想」と思うこともまた大切なのです。
9)策略や陰謀やだましあい、知恵比べなどの要素が少ないという点。
 策略に失敗すれば即、死なのです。その緊張感が欲しい。しかし本作は、緊張感が殆ど描かれない一方、人物の心の変化がしっかり描かれています。それゆえみんな、現代人のような「いい人」に見えてきます。

 私が大河ドラマに期待しているのは、多くの人物がそれぞれの人生を一生懸命に生きていき、それが大河のように流れていくさまを描くということです。平凡なドラマ、ヒューマンドラマあるいは家族ドラマのようなものを期待しているわけではありません。前半から中盤までの流れにおける人物の動きは、後半での動きにつながります。本作はそれがうまく描かれていませんでした。信繁のような生き方では、豊臣の恩義を感じるようなことはありませんし(逆に豊臣家が信繁に恩を感じるほどでした)、平和主義で、調整主義の人物として描かれてきました。だとすれば九度山を脱出する理由が明らかではありません。最後に家康を追い込んでいくシーンがありました。幸村はいろいろと(べらべらと)喋っていましたが、説得力はありません。恨みがあるのでしょうか? 逆にもし恨みがあるのならば、鉄砲でさっさと打ってしまうべきでしょう。大河ドラマとは、最終回第50話の最後のシーンが感動するように、それまでの49話を構成するべきです。
 昔の大河ドラマは、けっこう地味でたんたんとしていて、華というか、そういうのが無くて、普通に歴史を描いているかのような作り方でした。私が好きなのは「翔ぶが如く」「太平記」、大河ドラマではないのですが「真田太平記」「宮本武蔵」です。庶民の生活や人々の苦労を描きながら、位の高い/低いといった社会関係をよく描いていく。「恩義」や「名誉」が最優先されるという時代です。今とは感覚が違うはずです。人物はある意味で薄っぺらであって、愚かであって、変な策略や陰謀ばかりが長けている。頑張っても、頑張っても、運命には逆らえずに、死んでいく。それゆえ可哀想に見えてくる。そういうのが大河ドラマの面白さだと思います。真田太平記の時はこうです。戦国時代が終わってしまい、徳川の時代になってしまった。しかし昌幸は、それを認めつつも、なお真田家の名誉・武名を天下に知らしめたいと思いをいだきながら死んでいく。その意思を幸村が継承したのです。幸村が死ぬ際、「わしの首を取って手柄にせよ」というセリフ、遠くの父上を思い描きながら「父上、これでようござるな」というセリフ、その上での自害。ここで感動するのです。そういう感動は一切なく、何がしたいのかさっぱりわからなかった、というのが今回の真田丸でした。
 たぶん10分とか1話とか、そのような範囲で比べてみれば、今回の真田丸の方が面白いと思うのです。次が楽しみでチャンネルを合わせようという気持ちになるのです。しかし50話全体で見れば、圧倒的に昔の方(真田太平記)が面白いのです。

私の結論はこうです。
一話単位を面白くしようとさんざん努力した結果、50話全体として面白くなくなった。

 大河ドラマがこんなふうになってしまったのも、多くの視聴者が、表面的なことだけで喜んでしまうというその傾向にあると思います。わりとネットでは評価が高かったようなのですが、はなはだ疑問です。暗くて地味なドラマは見たくないという視聴者の心境に答えているのかもしれません。私の感覚が古くて少数派であって、一般的には真田丸を絶賛しているのかもしれません。なんだか、疲れてしまう。以上のことから、大河ドラマには、もうしばらく、期待できそうにありません。いくら俳優が素晴らしくても、多くの人々が大河ドラマに平凡なドラマを期待しているため、昔のような大河ドラマにはならないだろうと思います。
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Posted on 2016/12/19 Mon. 22:30 [edit]

category: テレビドラマ

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