『真田丸』36話・37話あたりの感想  

 第36話「勝負」第37話「信之」あたりの感想です。鈍行列車に乗って風景を眺めながらお弁当を食べていたのが、ここへ来ていきなり新幹線に乗り換えたようなそんな気分です。第二次上田合戦と関ヶ原の戦いを、合戦シーン抜きで語るというのは、どうかしています。予算がないというのは一つの理由でしょうが、それ以上に脚本家の三谷氏が、合戦が好きではないというのが理由でしょう。舞台作家さんです。大規模な合戦を直接描くよりも、人々の心の変化でその大規模さを描きたくなるのだと私は推察します。私たち古くからの大河ファンは、素直に、普通に、合戦シーンが見たいのです。人々が苦しみ、命を落としていく。それはとても愚かな姿ですが、そういう姿を見て、戦国の世を感じたい。悲惨な姿、心が荒んでいくような、そんな時代を感じたい。その中で、もがき苦しむ姿がある、小さな明かりがある。そこに美学を感じたりするものです。プライドを守って命を落とす、そんな人々の姿を一人ひとり描くとよい。「おおい」云々のギャグは、不要です。「きり」との恋愛話も不要です。生きるか死ぬかの瀬戸際で、まさに死にもの狂いで生きている姿が見たいのです。
 あんなに長々と大阪城内の人間関係を描いてきたのです。それが、どのように変化推移したかが大切です。嘆き苦しむ姿、醜い姿をじっくり見せるべきです。残酷でもいい。そうすると視聴者は、あ、やっぱ、こういう時代だったのだと感じることになります。しかしそれがない。しかも石田の最後があんなにさらりと綺麗に描かれると、戦国の世という雰囲気が感じられない。これまで詳細に描かれてきた人物です。合戦の際に、狼狽したり、困惑したり、苦しんだりしながら最後を迎える、そんなシーンがあってしかるべきです。死ぬ直前の醜い姿と大阪城での真面目に働いている姿とか重なって、深い重みを醸し出せたと思うのです。あんなにさらりと終わってしまった。そのくせ周囲の女性たちがおいおい涙を流す。「つられて泣け」といわんばかりです。信之の演技はうまいと思う。しかし演技で視聴者を泣かせるというのではなく、世界観をしっかり見せることで泣かせて欲しい。
 無理して家康を悪者にしようと描いているように見えます。九度山に蟄居させたのは、命を助けたのであって、死ぬまで苦しめといやみでやったことではありません。家康が真田氏に対して恨みを持つ理由がよく分かりません。力と力の勝負ですから、仕方ないはずです。家康のことですから、世の中をうまくまとめる方法を思案していたはずです。家康の考えは、各大名との会話のシーンでうまく表現するとよいと思うのです。
 主要人物数名の味のある会話だけで、戦国の世を描こうとしていますが、それはおそらく無理がある。スケールの大きな世界観は、まったく表現できていないように思えます。淡々と歴史をなぞっていけば、名作になると思うのです。普通に作れば、みんなが感動するような大河ドラマになるというのに。なぜこんなに面白くない話にしてしまうのでしょうか。来週はあっという間に10年たち、昌幸が最後を迎えます。もう、速すぎです!1年間という範囲で計画的に配分しましょう。幸村がぜんぜん勇敢な武将に見えません。世渡り上手なサラリーマンに見えてきます。夏の陣、冬の陣にうまくつながるとは思えないのです。(余計な心配かもしれませんが。)
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Posted on 2016/09/20 Tue. 22:19 [edit]

category: テレビドラマ

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