大河ドラマに何を求めるか  

 毎回『真田丸』を見ています。27回「不信」28回「受難」を見た段階での感想です。全体的には面白い。面白いということはドラマとしては成功していると思います。視聴率も取れるし、多くの視聴者が面白かったと感想を言うことでしょう。ではそれで私は満足かと言われれば満足ではありません。過去の大河ドラマの名作を思い返せば、本当に最近の大河ドラマは悪くなったと思うのです。
 本ドラマでは、登場人物が少なくて、一人ひとりが個性的に描かれていきます。するとスケールが小さく、まるでホームドラマのようになってしまうのです。全体的には武将が部下に命令をしたり、部下が殿に語りかけたり、そういう場面が少ない。例えば伏見城の建設の場面で昌幸と源三郎の会話があるのですが、その場面においても作業をしている部下とのやりとは一切ありません。たんなる背景になっているのです。で、しかも話の中身がとても小さいことだったりするのです。こんな調子で全てが描かれるのですから、昌幸も源三郎も、とても偉い城主には見えてきません。部下たちを大切にしたり、あるいは厳しく叱責したり、命令したり、そういうシーンが少ないので、本当にこの人は偉い人なの?と思えてきます。やはり、庶民や雑兵が全く描かれていないのが痛いです。世界のスケールの大きさが、全くといっていいほど伝わってこないのです。貧しくて、苦しい生活、病気とか、戦乱によって人々の心がすさんでいくあたりを描くべきです。戦国武将というのは、その上に立って、それでもなお戦争をしようとする人々のことだと伝わります。そういうシーンがないので『真田丸』はとても軽く感じます。
 私が大河ドラマに求めているのは、歴史の大きな変化です。おそらくたくさんの人物が一言ずつ喋っていく。それによって歴史の全体が分かる。そういうのを求めているのです。個性的で豊かな人物がずっと喋っているのは、なんか違う。一言ずつ、全員に喋らせたらいいのに、なぜ特定の人物だけが喋っているのでしょうか。三谷氏は、基本的には舞台の喜劇作家です。メインで登場する人物の心の動きを描こうとしてしまう。それ以外の人々にはセリフは不要だと考えているようなのです。
 私が大河ドラマに期待するのは、歴史の大きな変化に、みなが流されてしまうようなそんな動きです。人物がなぜ怒るのか、なぜ悲しむのか、なぜ笑うのか、なぜそういう言動をとるのか。その答えはその人物の置かれた境遇の方にある。その立場とか、環境とか、それによって人生が追い込まれていく。すると私たちは歴史の大きな波によってそうなってしまった、というふうに感じるのです。個性がゆえにその言動をとるのではありません。人間性はむしろ単純明快な形にしておいてよいのです。そうすれば見る側は、「誰だってこんな境遇に置かれたらそうなるかな」と思うのです。人間性を空っぽにしておくことで、見る側はその中に勝手に自分自身を入れてみたり、中身を推察してみたりするのです。しかし本作「真田丸」では、個性的な人物同士が出会って面白い事件が起こっている、というふうに描きます。会話や物語は豊かですが、それ以上の深まりを感じなくなってしまう。源三郎は、ずっと前から同じ性格でした。昌幸もまた、ずっと前から同じ性格でした。そういう性格として、固定されています。秀忠が登場しましたが、極めて特徴的で個性的な登場シーンです。この後は、彼を中心にしてドタバタコメディが予想されます。ただし彼の言動は理解不能になってしまいます。で、結局、面白くなくなっていくのです。「普通の人間がその境遇によって変わっていく」というさまが殆ど描けていません。要するに三谷氏は、自分の脚本能力によって視聴者を感動させようと必死になっているのです。人物の人間性や個性によって歴史が動いたということになれば、見ている側は「お前はこうすればよかったじゃないか」と反論したくなるのです。その人物に対してイライラしてしまいます。源三郎が伊豆守という位をもらって腹を立てるシーンがありましたが、そんな小さなことで腹を立てるべきではありません。位をもらうということは、真田家全体が評価されたということですから、当時の世界観からいっても当然、喜ぶべきことです。あんなふうに弟の助言でもらったものは嬉しくない、等というのは、現代人の感覚です。心の微妙な変化が描かれていくと、現代劇になってしまいます。
 女性キャラを中心にして展開するギャグ話は、それ自体は面白いとしても、このような重い話であるべき戦乱の世においては、作品の重さをぶち壊してしまいます。みんな冗談のように描いてしまうのです。三谷氏は、どうしても喜劇にしたいようです。どうしてこのような時代で笑いが必要なのでしょうか。だんだん、みんなが「いい人」に見えてきます。これでいいのでしょうか。「あ、良かった、良かった」という平凡な物語になっていきます。まるで朝の連続テレビ小説のようです。
 本作「真田丸」は、人物一人ひとりが豊かに、個性的に描かれるということによって、どんどんスケールが小さくなっていきます。みんな「いい人たち」ばかりです。平和です。そしておそらく、困ったことに、戦乱の世が描けなくなってしまうのです。本来はもっと殺伐としているはずです。武将や雑兵たちは明日死ぬかもしれないというその空気の中で生きています。策略と陰謀が張り巡らされ、自分の命よりも誇りや名誉を重んじると思うのです。今のように、思いやりや優しさや、ちょっとした扱い方で落ち込んだり、悲しんだりするような、そんな人々ではなかったはずなのです。現代人のような優しい心の持ち主ならば、出世することもなく、ただひたすら泣いて、気がおかしくなってしまったり、沈み込んでしまったりするはずなのです。相手の命をなんとも思わないような神経、野望に燃え、平気で命を落とそうとする。忠義を重んじる。それは現代人から見れば愚かなことですが、そういう人によって時代が動いていくのだと思います。そういう男の愚かさを、たんたんと描くのが、歴史物語だと思うのです。実際には戦乱期の生き様なんてのは、家族や大切な人を見殺しにしたり、相手の幸せな生活を破壊したり、変なプライドや意地を通したり、そういうことの連続だと思うのです。皆が静かに平和に暮らしているのが最高だと思うような人間は、そんな真っ当な人間は、戦争はしません。
 余計な心配かもしれませんが、『真田丸』は大丈夫でしょうか。このまま行っても、関ヶ原や夏の陣のような悲惨で激しい場面にはつながらないような気がします。ここで描かれている源次郎は、とてもいい人です。「話しを聞いてくれる優しいおじさん」です。この後に、私たちの知っている真田幸村になってくれるのでしょうか。あの勇猛な武将、リーダーシップと策略に長けた、真田幸村になってくれるのでしょうか。
 また、ナレーションが後のことをばらしてしまうのも、やめて欲しい。「実はこの人物、この後に○○になるが、今はまだ、しるよしもない」どうしてこんな上から目線で、自分は何でも知っているかのような自慢をするのでしょうか。視聴者をバカにしているのでしょうか。
 とにかく名作「太平記」「翔ぶが如く」「真田太平記」等に並ぶ素晴らしい作品を期待するがゆえに、いろいろと不満を持って見てしまう今日この頃でした。
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Posted on 2016/07/21 Thu. 22:14 [edit]

category: テレビドラマ

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