『ばべるの とう』感想  

(絵:かすや昌宏、文:佐久間彪、至光社、2015年)王様は、自ら神様になることを目指し、巨大な塔を建設する。あと一歩のところで塔は崩れ去る。神の逆鱗に触れたのだ。人々の言語はバラバラになりお互い通じなくなってしまった。これは、ファンタジーとして楽しめる話だ。私達は全ての頂点にたち、好きなように世界を動かしたいという欲求を持ってしまう。自分は神様だと勘違いしている人もいる。しかしどんな権威も、いつかは滅びるだろう。改めて思うが、世界中に多様な言語が生まれたのはなぜだろう。なお、本書の登場人物は全て横顔である。それゆえ読者は人間を客観的にとらえることができる。
 旧約聖書の話です。二人の子どもが石を積み上げて遊んでいました。それを見た王様は、「わしも たかーい たかーい ものすごーく りっぱな とうを つくるぞ」と決心しました。王様は大きく腕を振り上げて家来を集めて言いました。「わしは せかいいちのとうをつくる わしは かみさまみたいになるんじゃ」多くの家来たちが集まり、せっせと働きます。雲より高い巨大な塔です。もうすぐ完成です。その時です。真っ暗になり、突然の稲光、巨大な塔は音を立てて崩れさりました。神様がお怒りになったのです。そして人々の言葉がお互いに通じなくなってしまいました。家来たちはバラバラになり、家に帰ってしまいました。二人の子どもが作っているとうは、無事でした。「かみさまは ふたりをやさしく ずーっとみていらっしゃったんだよ」私たちの欲望は、とてもやっかいです。偉くなりたい、強くなりたい、かっこよくなりたい、誰からも指図されずに、多くの人々を思いのままに操り、好きなものを食べ、好きな異性と結ばれ、そんな王様のような生活に憧れます。自分も神様のようになりたいと思ったり、あるいは勘違いしたりすることもあります。しかしそれはたんなる一方的な理想であり、現実にうまくいくはずはありません。
 この絵本(あるいは旧約聖書)は、私たちの生き方について、大切なことを教えていると思います。私たち人間は、アフリカ東部で誕生し、それがグレートジャーニーと呼ばれる大移動で、世界中に広がっていきました。言語が違うというのは、不思議です。特にアジア系のように主語と修飾語と述語という組み合わせで説明する言語とヨーロッパ系のように主語と動詞と目的語という組み合わせで説明する言語がありますが、それは起源そのものも違うということでしょうか?世界に存在する無数に異なる言語。それはここから始まりました。と言う具合に説明できれば、納得はできなくても、「神様が決めたんじゃ仕方ないなー」と思ったりします。この絵がとても素敵ですね。描かれている人物は殆ど「横顔」です。なぜでしょう。これには何か意図があるように思えます。おそらく、読者には、当事者の気持ちにならないようにしているのだと思います。人間という生き物を、斜めに見てもらおうとしているのだと思います。
 さて、私には、キリスト教についての知識は殆どありません。キリスト教について解説したり議論したりするつもりはありません。純粋に、こういう絵本が、「ファンタジーとして面白い」と思うのです。人間の、人間らしい感情、欲望、それらをどっと大きくして見せたり、歪めてみせたりする。それこそファンタジーの基本だと思うのです。脇明子さんの本などを見てもそういう定義はありません。一般的に想像や空想が広がればファンタジーという定義のようです。宗教は、こういうファンタジーの上に成立していると思います。宗教ってすごいです。私たちの人間的な姿をファンタジーの世界の中で表現し、なるほどねーと思わせておきながら、そしてそれが神様の世界であると説明するのです。様々な人間的な欲望や心理を取り上げて、その背後に神様がいると説明するのです。
スポンサーサイト



Posted on 2012/02/09 Thu. 21:53 [edit]

category:   4) 強い国家を目指す

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://kazeandsoraand.blog.fc2.com/tb.php/70-38e7b7a3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

カテゴリ

最新記事

最新コメント

お客様

検索フォーム

リンク


▲Page top