『だいくとおにろく』感想  

(再話:松居直、絵:赤羽末吉、福音館書店、1967年)流れの急な川に鬼が橋をかけてやる。その代わりに大工の目玉をくれという。大工が断ると、ならばおれの名前を当てろという。鬼の目的は何か。不可思議さと残酷さが恐怖となる。目は、真実を見つめるもの、大工たちを指示するもの。鬼は大工をからかっているのか?自慢したいのか?あるいは自分を認めて欲しいのか?あるいは認めて欲しくないのか?目玉を食べたいのか?子どもに目を与えるのか?様々な解釈が可能だ。名前を知っている大工は、後半でわざと名前を間違える。大工は、余裕の心で、鬼をからかう。恐怖に打ち勝つことができたのだ。名作。
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 かなり大きな川、流れの激しい川。いつごろの話でしょうか。昔の話です。橋をかけても、流れが強すぎて、すぐ壊れてしまうというのです。橋がなければ隣村に行くことは出来ません。電話もメールもない時代ですから、とても不便なことだと思います。村の人々は、このあたりでは有名な大工に頼むことにしました。大工は、この難しい大仕事を引き受けてくれました。しかし引き受けてはみたもののなかなか大変です。どのようにするか思案していると、川の中から大きな赤鬼が出てきました。大工と鬼の会話が始まります。鬼は「この川に橋をかけるのは大変だ」  「お前の目ん玉をくれれば、おれがかわりにかけてやってもいいぞ」という。この時大工は、「おれはどうでもよい」という曖昧な返事をしてしまいます。鬼は、数日のうちに、あっという間に立派な橋をかけてしまう。
 大工が驚いてみていると、そこへ再び鬼がやってきて「さあ、めだま、よこせ」といいます。それは出来ないと、大工は逃げ出そうとします。すると鬼は、「おれの名前をあてれば、ゆるしてやってもええぞ」と言います。子ども向けの絵本や物語を見ると鬼や化け物が登場することもあるのですが、鬼といいつつも、鬼ではないようなものが少なくありません。「鬼と思って接していたところ、実は鬼ではなかった」というストーリー展開は、設定そのものをぶち壊してしまっているように思います。
 『大工と鬼六』の物語では「これぞまさしく鬼」と思わせる正真正銘の鬼が登場します。鬼の残虐さと、悲しさや愛嬌を持った鬼の姿がよく描かれています。この話はもともとは昔話です。この昔話は、北欧の物語から来ているのであって、日本古来のものではないという説もあります。(櫻井美紀『昔話と語りの現在』久山社、1998年。)物語の構造や起源は北欧の物語かもしれませんが、ここで描かれる姿は、日本的な「鬼」です。
 ところで、「鬼」とは誰でしょう。外国人や異民族のようなもの、共同体の外側にいて、名前も生活もよく分からない人。知らない人ということだと思います。昔の村落共同体が形成されていた頃には、その外部は脅威であり、恐怖でした。知らない人は、鬼や天狗のような存在として人々には意識されていました。すなわち、「最初は鬼かと思っていたが、実は鬼ではなかった」というストーリーであるならば、鬼は消えるか、鬼ではなくなるという結論でなければならないのです。依然として鬼ではあるにもかかわらず、鬼と友達になるというのは、矛盾だと思います。友達との出会いを描くのであれば、鬼や化け物である必要性はありません。鬼を登場させる以上、しっかりした鬼が登場してほしいものです。この物語は、鬼の不思議な部分もよく出ています。
 この物語の不思議な点は、「鬼はなぜ目玉を奪おうとしたのか」という点です。それは「子どもに食べさせるため」でしょうか?問題は、なぜそれが腕や足ではなく目玉なのかということです。松居直氏は、「正体を見破るから」だと考えていました。(松居直著『絵本を見る眼』日本エディタースクール、1978年。)そうかもしれません。正体を見破られてしまえば、鬼は鬼ではなく、ただの人だということが分かります。鬼が目玉を奪おうとするという行動原理は、鬼が見知らぬ人だということと関連します。あるいは大工が、ただの大工ではなく大工の棟梁であって、棟梁の場合には腕や足よりも、工事の工程の全体を見つめる目が重要だということもあるかもしれません。だとすれば鬼は大工を困らせようとしたのではなく、大工の棟梁彼自身を困らせようとしたということになります。いずれにせよ、目玉をくれ!という要求が強く出ているわけではないので、「目玉を主食にしている」とか「目玉が美味しいからだ」とか、そういう理由ではなさそうです。鬼は、まるで大工をからかっているようにも見えます。
 もう一つ不思議なことは、「鬼はなぜ名前を当てさせようとしたのか」ということです。「鬼」と「おにろく」の違いはどこにあるでしょうか?「人間」と「山田太郎」の違いはどこにあるでしょうか?それは抽象名詞ではなく、固有名詞ということです。鬼は、俺の名前を当ててみろと要求しています。なぜでしょう?鬼は、自分の名前を当てて欲しいと思っているのでしょうか?当てられたら消えてしまうのですから、鬼は当てて欲しいわけではないのです。大工が「分からない」と困惑しているのを、楽しんでいるのです。特に鬼は、人々の間に名前を知ってもらいたいとか、理解してほしいとか、そんなふうには思っていないようなのです。鬼は、何をしようとしているのでしょうか。鬼が異民族や外国人、他の共同体の住人だとしても、はっきりわかるのは、鬼は決して何かに困っていたり、悩んでいたりするわけではないということです。何かがしたいわけではなく、それこそ、テキトーな距離感で、テキトーなことを言いながら、楽しんでいるのです。しかし大工の方が一つ上でした。大工は名前を知っていたのです。森の中をさまよっている時に聞いた「おにろく」という言葉を思い出すのです。
 次の日、再び鬼と向かい合って大工はこういいます。「よしきた。おまえの名前は、かわたろうだ!」鬼はにかにか笑いながら、「そんな、なまえでは、ない」と言います。なぜ、わざわざ間違えて言うのでしょうか?こちらは答えを知っているにもかかわらず、それを言わずに隠しておく。そしてわざと間違ったふりをする。おそらく、大工は、遊んでいるのです。鬼に「からかわれた」大工は、鬼を「からかう」ことで、反撃に出るのです。(にかにか笑う、という表現方法は素晴らしい)「ごんたろう」「うんにゃ、ちがう」「だいたろう」「うんにゃ、ちがう」というやり取りをした後で、大工は大きな声で、「おにろく!」というと鬼は「きいたなっ」といいながらそのまま消えてしまいます。殺されるかもしれないという危機的な状況においてからかって遊ぼうとするその心理は、とても緊張感と感動につつまれていると思います。昔話を絵本にするという作業はとても難しいと思いますが、大和絵調の画風はとても美しいと思います。色鮮やかなページと、白黒のページが交互に来ますが、これはどうしてでしょう。これは「表に色を塗ってしまうと裏には塗れないので、こうせざるをえない。」という昔の雰囲気を再現しようとしたのかもしれません。時には色彩を感じながら、時にはあらすじだけを感じながら物語の世界に入っていくという、昔話の雰囲気を出せているとも思います。いずれにしても謎の多い、不思議な昔話絵本です。
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Posted on 2011/10/24 Mon. 21:17 [edit]

category:   1) 脅威と戦う

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コメント

コメントありがとうございます。

風斗碧さま。目の見えない子鬼というとらえ方は、はじめて聞きました。とても興味深い解釈ですね。小学校で読み聞かせをされているとのこと、素敵です。どんな絵本でどんな反響だったかというあたり、いろいろと教えて欲しいところです。風斗碧さまのブログにもお邪魔します。今後も宜しくお願いします。

URL | ごんたろう #79D/WHSg
2013/02/09 06:56 | edit

初めまして。

小学校で絵本の読み聞かせをしている者です。
先日、『大工と鬼六』を読んだので調べておりましたらこちらにたどり着きました。
私が聞いた話では、鬼が目玉を欲しがったのは目の見えない自分の子鬼の為、と聞きました。
ただこの話も又聞きの又聞きのようなものなので、正確な出展は分かりません。
ただ、人外の生き物にも親子の愛を感じてしまう八百万の国の発想をいいなあ、と思いましたので。
お邪魔さまでした。

URL | 風斗碧 #79D/WHSg
2013/02/08 11:46 | edit

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