『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』感想  

このアニメは、もともとは青年向けコミックが原作となっています。全体的に下品なネタで笑わせようとする色彩が強く、それゆえ女性には共感できなかったかもしれません。しかしながらこの映画に関してはそういった先入観は捨て去って欲しいと思います。昭和を懐かしむオトナたちと、早くオトナになりたいとする子どもたちとの対決を描いた、素晴らしい作品です。昭和を懐かしむ映画としては『ALWAYS三丁目の夕日』(2005)や『フラガール』(2006)などが有名ですが、こちらの方が先です。映画の中では昭和のテレビやコメディなどが登場し、トヨタ2000GTやスバル360などの名車も登場します。音楽にしても、風景にしても、とことん細部までこだわった、素晴らしい映画です。ギャグのセンスも抜群で、おもいっきり笑わせてくれます!

 私の感想は、細かな技巧が含まれているから素晴らしい、というのでも、笑わせてくれるから素晴らしい、というのでも、泣けるから素晴らしい(泣けないから駄作)のでもありません。泣くだけの映画なら他にも山ほどあります。90分の短い映画に、あらゆる人生の問題や社会や歴史が凝縮され、それでいて豊かな人生について、暖かく、そして厳しく描かれているから素晴らしいのです。私たちの素直な気持ちや人生を、一度そこに詰め込んでおきながら、それをひっくり返す、そのような刺激がこの映画には含まれています。映画の内容は、「子どもの頃に戻りたい」「オトナという立場はつらい」「20世紀は良かった」「昔が懐かしい」というオトナの主張。「オトナになりたい」「今はとっても楽しい」「21世紀を生きる」「ふざけてみたい」という子どもの主張。二つの主張が衝突するというものです。そもそもクレヨンしんちゃんという世界そのものが、将来やオトナ世界を急ごうとするいわゆる「ませた」子どもの話です。子どもたちは懐かしいとか、昔の思いに浸るということはありません。一定の年齢を経たオトナだけが、「昔はよかった」と懐かしみ、「今は悪い時代だ」と嘆くのです。この映画では、オトナたちの「昔はよかった」というメッセージにも似た部分と、子どもたちのドタバタコメディとが交差しながら進みます。子どもの純粋な心理と大人の疲れた心理との衝突が見事に描かれた映画だと思います。この映画を、何も気にせずにさーと眺めてしまえば、「同棲カップル」と「マイホーム核家族」の戦いに見えます。この映画は、家族の大切さを訴えた映画でしょうか?よく考えてみればこの構造は少し不思議です。
  <20世紀>      <21世紀>
 <大人の主張>    <子どもの主張>
<子どもに戻りたい> <大人になりたい>
という二つの対立が読み取れます。そしてそこに「家族」が加わります。ケン&チャコが、同棲時代の若者だということ、ヒロシが家族を養っていること、それを考えれば、図式としては
<20世紀>      <21世紀>
<大人の主張>    <子どもの主張>
<子どもに戻りたい> <大人になりたい>
<家族批判?>    <家族重視?>
という形になってしまいます。この図式は正しいでしょうか?それは変です。ケン&チャコが作り上げた世界に家族はいます。「今夜はカレーだよお」と暖かい声でささやくお母さんは、家族を大切にしています。同棲時代。それはいつか来るであろう暖かな家族を夢見る、最も「家族的」な姿ではないでしょうか。当初思い描いていた家族は、結婚し、出産し、子どもが成長するにつれて,良くも悪くも崩れ去るものです。
 しんちゃんの人生とケン&チャコの人生は、真っ向から対立しています。正反対なのです。ケンの人生は、過去に向かっています。彼の心の中にある過去のイメージに向かっています。現実の過去ではありません。まるでそれは偶像崇拝です。21世紀は、人々が心を失い、競争し、思いやりを失った世界である!もう一度、あの頃、あの素晴らしい時代に戻ろう!そんなふうに考えます。彼らの世界は夕焼けです。薄暗い世界において人々は誰かを求めたくなります。思いやりがあって、お互い支えあうような世界です。それはまるで家族です。ケンには世の中の人々すべてを一つの家族にしてしまおうという野望があります。(もちろん、善意で)そして同じ価値観、同じ考えであることを確認して、微笑みます。安心と安全がここにあります。癒しです。もはやそこに「言葉」は要りません。ここには「個性」が、ほとんどありません。人々は、ここでは「かつての昭和」を創作するのに必要な各パーツに過ぎないのです。
 「癒し」は、人々が癒されなければ、「怒り」に反転します。ケンたちが最も怖いのは、癒しを共有できない「子ども」です。ケンの思考には、中心があります。中心を向いているのです。末端に赴いて人々を中心に向かわせようとします。それは時として暴力を含みます。反対派を排除し、自分に同意・共感する人間を集めます。暴力が向けられるそのさまは、戦時国家です。しんちゃんの人生は、未来に向かっています。あらゆる規範や秩序を破壊しようとします。しんちゃんから見れば「大人の世界」は変な世界に見えます。しんちゃんが大人をからかい、大人をデフォルメして遊んでいるのは、しんちゃんにとって、大人が奇妙で気持ち悪い人々に見えるからだと思います。
 真面目な大人は、アニメ「クレヨンしんちゃん」が嫌いです。それはしんちゃんがあまりにも大人を正しく見つめ、それをオーバーにしているからです。しんちゃんが嫌いだという人は、大人の本性が嫌いなのです。足の臭いパパ、おしりの大きなママ、それら本性をからかい、クラブのママの物まねをする。そんなしんちゃんにとっての最大の脅威が「昔を懐かしんでいる大人」です。それはマネをすることもできないし、からかうこともできません。しんちゃんは家族という価値観に縛られていません。「自分を正しい方向に導いてくれる父親」「自分に愛情を振り向けてくれる母親」いわゆる家族という価値観は、しんちゃんにとってそれほど重要ではありません。しんちゃんは秩序や規範や文化と対立しています。中心が嘘であることを暴いて、バカにして、笑って去ろうとします。目の前に見えるあらゆる前提をひっくりかえして遊んでいるのです。そういう面があるからこそ、かえって「人間らしい」のです。実に子どもらしいのです。あの喋り方!大人が期待する天使のような子どもとは、正反対です!アニメ「クレヨンしんちゃん」が嫌いな人とは、子どもに「純粋無垢な可愛らしさ」を求める大人のことです。しんちゃんの世界は意外性や驚きです。周囲の人々はしんちゃんの不思議な言動に驚き、そして笑います。誰も予想しないようなことをやってのけます。みんながしんちゃんを見つめています。そしてここに「言葉」が生じます。
 このしんちゃんの奇抜なアイデアやびっくりする言動は、人々の多様な反応を引き出します。ここには「個性」があふれ出てきます。わたしの解釈では、ケンが重視する「家族」を、しんちゃんは批判していると思います。図式化すれば、
<20世紀>      <21世紀>
<大人の主張>    <子どもの主張>
<子どもに戻りたい> <大人になりたい>
<家族重視>     <家族批判>
ということになります。
 最も重要なのは、ヒロシの位置です。ヒロシは、家族を大事にしようという強い意志を持っているのでしょうか?岡田斗司夫は、万博会場でヒロシが目覚めて泣くシーンについて。 自分を取り戻したヒロシがなぜ泣いているのか?と問いかけています。 「自分の意思で素晴らしかった過去を捨てなければならないから泣くんですね。  決して家族をもう一度取り戻したからという喜びで泣くんじゃないんです。」 「この映画のテーマって言うのは、実はその、家族の絆は素晴らしいでもなんでもなくて、  その人間の葛藤そのものにある。」(『キネ旬ムックBSアニメ夜話05』キネマ旬報社、2007年、pp.67-68)ヒロシが夢から覚めて、現実に戻る時、「昔はよかった」「子どもの頃に戻りたい」という気持ちから、距離を置いて自分をとらえます。そしてヒロシは「昔は良かった」という観点を、自分の身体から切り離そうとします。あまりにも懐かしくて涙を流し、頭がおかしくなりそうなのです。しかしそれを振りほどいて、先へ進もうとするのです。なぜでしょう。そのようにする原動力は何でしょう?
 おそらくそれは、変化のある未来を大切にしようと思ったからです。しんのすけに未来を与えるために、あるいは、現在から未来へ進む時間の流れを受け入れようとするがために、自分の過去の思い出や満たされなかった感情に戻ることを「諦めて」いるのです。決して満たされることのなかった幼少時代の思いは、もう、永遠に満たされないのです。とても「つらい」のです。ヒロシは涙を流して先へ進もうとします。すなわち、ヒロシは、ケンの気持ちも、しんちゃんの気持ちも両方認めているわけです。ケンの気持ちにも共感しつつ、ケンが想定しているようなノスタルジックな家族ではなく、もっと変化に富んだトラブルだらけ?の家族を求めるのです。ヒロシの決意というのは、過去と未来とを両方大事にしながら生きるということです。子どものために未来を用意してあげなければなりません。しかし、過去のもの全てを破棄してもいけないのです。過去のものを大切にしなければなりません。しかし、未来の変化や可能性の全てを否定してもいけないのです。
 さて、映画の後半。最後ドタバタワールドの住人(野原一家)が、それこそドタバタ喜劇を展開しながら、タワーの頂上に向かいます。ドタバタ喜劇をここで描いているのは、「飽きてしまいがちな映画の展開上、子どもを楽しませるために置いている」のでしょうか?そういう面もあるでしょうが。わたしたちにこういうメッセージを投げかけているのです。「恐怖、不安、悩み、それら全てを笑いに変えることもできるのではないか?」「そういう人生は、昔を懐かしむ人生よりもはるかに刺激的で楽しいのではないか?」しんちゃんが命がけでタワーを登るのはなぜか?家族やヒロシを大切にしているから?そうではありません。しんちゃんにとって、このタワーは脅威です。ケンが、余白、ゆとり、空き地といった、ギャグを生み出すための無駄な空間を否定するからです。大人たちが「昔は良かったなー」などといって回想に浸っていては、しんちゃんは生きていけないのです。しんちゃんは身体がボロボロになるまで走り続けるのです。(涙なくしては見られません!!!)その様子は同時に、建物の住人たちにも届けられます。
 建物の住人たちは、なぜ、心を動かしたのでしょうか。しんちゃんが頑張っているから、でしょうか?家族が大事だから?それはおかしいです。住人たちは家族を大切にしています。住人たちが心を動かしたのは、「子どもに未来を託す」ということに気付いたからです。ああいうドタバタ喜劇(何が起こるか分からないドタバタ!)をもたらすのは「子ども」です。(子どもらしさ、と言い換えてもいいでしょう)自分たちは不幸でも、自分たちが納得しなくても、あるいは自分たちが良い人生を送れないとしても、それでも子どもたちのために未来を用意してあげよう。自分のイメージする家族を大切にすることによって、子どもの未来を奪ってしまってはならない。21世紀が納得できないからといって子どもから未来を奪ってはならないのです。頂上に登りつめた頃にはタワーのエネルギーが急低下していました。ケンはなぜ、野原一家にタワーに到達する時間と余裕を残しておいたのでしょうか?なぜそういうチャンスを与えたのでしょうか?おそらくは、自分の進む道にひとかけらの不安があったからではないでしょうか?もし野原一家がわたしを止めることができなければ、わたしの進む道は正しかったということになる。ケンは野原一家を試すことによって、自分の進む道を決定しようとしたのだと思います。しんちゃんは勝利します。最後の最後にもギャグを入れます!!!吉田拓郎の歌が心に残ります。「わたしは今日まで生きてきました。」「そして今、思っています。」「明日からも、こうして生きていくだろうと」(2001年公開、東宝)
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Posted on 2011/10/22 Sat. 22:31 [edit]

category: アニメ・特撮

thread: ★おすすめ映画★ - janre: 映画

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コメント

コメントありがとうございます

今後も宜しくお願いします。頑張ってブログ続けます。

URL | ごんたろう #79D/WHSg
2013/01/07 21:02 | edit

Unknown

とても参考になりましたありがとうございます。

URL | Unknown #79D/WHSg
2013/01/05 01:20 | edit

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