「女性は子どもを産めという少子化対策」考  

 つい先日、興味深いニュースが流れてきた。記事はこちら。ある中学校の校長が全校集会で生徒に向けて「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと。仕事でキャリアを積む以上に価値がある。子育てをした後に大学で学べばよい」と発言していたというものである。本人は間違ったことは言ってないと考えており、教育委員会などは不適切な発言だととらえているようである。こういう話はネットではよく論じられる。おおむね発言擁護である。この問題について私の考えを述べておきたい。なお発言要旨についてはこちら
1.発言の真意は何か。
 まずこの校長先生は国家の危機を憂いている。それは確かである。それは次の箇所に現れている。「こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。」「少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。」人口減少は国家の危機である。そういう考え方である。ある面では正しい。問題は、少子化対策のためには多方面に問題解決の方法があるにもかかわらず、あたかも女性だけが頑張れと言っているかのようなニュアンスになっているという点である。それは次の箇所に現れている。「特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上生むことです。」「女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。」これではまるで女性だけの問題であるかのようである。厳密には男女必要であり、さらには結婚して幸せな家庭を作るということが大前提である。この文面は、男性よりも女性の方に力を入れて語りかけている。結果的には、国家のために女性はガンバレ、といっているような文章になってしまっている。そこには、国家という巨大な組織のために女性の身体を捧げよというニュアンスが感じられてしまう。校長が意図しているかどうかは別であるが、ニュアンスが伝わる。
 校長の発言は極めて単純な論理である。一人の女性で二人以上でなければ国民の総数は減少するであろうという単純計算をするあたり、特にそうである。単純化というのは、説得力があるように感じられるが、実は何も考えていないだけである。女性が一人につき2人産まないから少子化なのだと説明しているように見えながら、実際には、女性が一人につき2人以上産んでいないということが少子化なのである。イコールである。原理を換言しているだけである。何らメッセージがあるわけではない。これは難しい議論を放棄するという論理であって、危険性を感じる。

2.少子化の原因は何か。
 校長は、女性が結婚よりも仕事を優先にしているということを取り上げたいのであろう。それは現実の認識としては正しい。では、人々が結婚よりも仕事を最優先するのはなぜか。それは、結婚を軽視しているからではない。それは条件の良い仕事、待遇の良い仕事が少ないからである。貧しい生活はしたくない。死活問題だからである。不景気の問題もある。利益の大部分を大企業の上の方?に吸い上げられてしまうようなこの社会の問題でもある。結婚したくても、出産をしたくても、その後、生活苦でやっていけないようでは意味がない。全ての出産と育児に、国が手厚く保護してくれるのであればいい。出産すればあとは何も心配しなくてもいい、そんな世の中であれば、どんどん子どもを産むと思う。特に女性は出産と育児を終えた後に再び一定の収入のある安定した仕事につけるかどうかが最も心配である。こんなことを思えば、本当に悲しい世の中である。子どもを産んで育てるのが喜びであることは、当然のことであり、それは普通の自然な暮らしが出来るのであれば、多くはその道を選択する。それが容易ではない社会なのである。結婚するならば、将来安定した仕事についていて、育児や家事を手伝ってくれる旦那と結婚したい。しかしなかなかそんな人はいない。結婚したとしても、離婚する場合もある。その場合の生活保障や育児支援は殆どない。保育園に預けようとしても保育園が足らない。そんなことを思えばまずは安定した仕事を探すのは当然である。まずは仕事、それがうまくいって育児休暇が取れるならば出産、というルートで考える。この校長先生はそうしたことについては殆ど気を配っていない。少子化あるいは人々の意識というのは結果である。社会状況や経済構想によってそうなってしまったのである。この校長先生の話は、経済的社会的な原因もあるのに(むしろそれが殆ど全てであるのに)それには触れずに、女性だけが問題であるかのような言い方である。以上の点で、校長の発言には、問題がある。様々な原因のうち一つだけを特化させているという点で、偏っていると思う。

3.発言が問題になるのはなぜか。
 校長先生の発言の文脈を考えてみよう。校長先生がこの発言をしたのはなぜであろうか。おそらく中学生たちは将来のことを語る時に、職業選択とそのための高校大学への進学についてよく考える。それが全てであるかのように語られる。それゆえ校長先生は、家庭と出産育児の大切さを訴えた、というのがおそらくはその文脈である。今この瞬間においては、様々な社会的経済的背景のことはもうすでに皆知っている、という前提なのであろうか。一番いいたいことを取り出して強調したということになる。それゆえ校長は自分の発言は間違っていないと主張するのである。言いたいことを一つに絞って明確なメッセージとしてぶつけるというのは、学校教育ではよくあることだ。多方面にも触れ、誰が聞いても納得するような文章にしてしまえば、まるで政治家の答弁のような「あれも大事」「これも大事」といった無味乾燥は文章になってしまう。もし保護者を目の前にしていたのであれば、発言内容そのものは変わるであろう。不妊治療で頑張っている人たちに向けて喋るのであれば、さらに内容は変わる。今回は中学生に向けて発した言葉である。それゆえ単純化した言葉になったと思われる。
 それがどういった経緯か分からないが、クレームとなり、教育委員会に向けられ、処分を検討しているという。さらにマスコミに流れ、真意を確かめるべくインタビューし、その結果を報道する。どんどん話が広がっていく。子どもを産めない人、あるいは一人産んだ人にとっては、プレッシャーとなる。「君の人生は間違っているよ」と上から言われているようなそんな印象である。「君は二人産んでる?産んでない?そりゃあダメだ、あと一人ガンバレ」といわれているような印象である。本来校長がぼやいた程度の内容であれば無視すればいいのであるが、校長=権威という前提で、それが世の中のモラルの全てであると受け止められる可能性もある。私たち日本人は、どうも、相手の言葉を心で受け止めようとする。ニュースを見ただけで心が揺れてしまう。それは弱さでもある。なんとかして子どもを産みたいと願っている人は、校長の文章から「産んでない?そりゃだめだ」と言われているように感じる。それゆえ傷付いてしまうのである。ここまでくれば、いったい誰が誰を傷付けたのか分からなくなる。中学生に向けて語った言葉を、取り出して報道し、それが原因で深く傷ついたとすれば、責任の半分はマスコミにあるのではないか。言葉というのは、目の前の人と自分との関係性で成立する。しかしながらマスコミはその言葉を取り出して、別の文脈の中にはめ込んでしまう。そうすれば、なんだか変な文章に感じられる。
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Posted on 2016/03/15 Tue. 21:31 [edit]

category: 社会・教育

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