『幻魔大戦』感想  

 石森章太郎と平井和正の共同作品。幻魔というのは、私なりに解釈しますと、特定の姿を持っていない見えないお化けのような存在。見えないのだけれども、すさまじい力で現存するものを破壊してしまう。破壊のための破壊。それが幻魔の怖いところです。そして遠く宇宙の彼方からやってきて、地球を飲み込もうとするのです。地球上の生命という生命全てが、飲み込まれてしまうのです。見えない存在と、どのようにして戦えばいいのでしょうか?爆弾や飛行機では相手にならないのです。彼らと戦えるのは、同じように見えない力を持ったエスパー、超能力者たちだけなのです。この時点で思うのです。この物語はスケールが大きすぎて、地球が崩壊する前に「物語」が崩壊する、と予想されます。戦いが激しくなればなるほど、普通の人間にとっては理解不能となり、もう、なんでもありみたいになってしまうはずです。


 しかしこの漫画、映画では、そうしたスケールの大きな話が中心ではなく、その設定の入り口の付近だけをドラマティックに描くことで、スケールの大きさと、物語の完成とを両立させるのに成功していると思います。物語は、東丈(あずまじょう)という少年を中心に話が進みます。この少年は、野球部のレギュラーの座をとれずに、ちょっとした挫折を味わっているところでした。そこに不気味なサイボーグが登場し、東丈を襲います。必死に逃げようとしますが、追いつかれ、殺されそうになった瞬間に、東丈は、自分の潜在的なパワーに気付きます。東丈は、超能力者だったのです!なんとか逃げ切った東丈は、今度は自分の超能力におぼれてしまいます。自分はすごい力を持っているんだと思い、人を見下し、バカにし、からかい、大笑いします。そこに再び、不気味なサイボーグ(ベガ)が登場し、真実を聞かされます。
 宇宙の彼方から幻魔がやってくる。
 そして地球の生命全てを飲み込もうとしている。
 地球上の超能力者たちが力を合わせてこれを迎え撃たなければならない。
 そんな話でした。東丈は、超能力者の中でも圧倒的な強いパワーを持った存在です。サイボーグ(ベガ)は、東丈の潜在的な能力を掘り起こすために、わざと襲い掛かって見せた、というのです。地球上の超能力者たちを急いで集め、その上で、連携協力し、近いうちに訪れるであろう幻魔に備えなければなりません。プリンセスルーナ、ソニーリンクスその他多くの超能力者たちを集めようとするのです。しかし、幻魔の先発部隊が、実は既に地球にやってきていて、活動を始めていたのです。あらかじめ、エスパー狩りをするのです。それゆえ、「地球上の超能力者たちを集めて、防衛部隊を結成する」というプロセスと、「幻魔の先発部隊がエスパー狩りをする」というプロセスが、同時に進むのです。この緊張感の中で物語は進んでいきます。幻魔と超能力者たちの頭脳戦なのです。
 例えば、ベガたちが呼びかけて仲間に引き入れようとしたソニーリンクスには、一歩先に幻魔たちが手をつけていたのです。警察の署長さんだと思っていたら、幻魔が乗り移った姿だったと分かるシーンは、ホラー映画のようでインパクトがあります。なかなかうまくいかないのです。しかも、もっとも期待するべき存在であった東丈は、超能力に目覚めたばかりで、あまり十分に能力を使いこなせないでいたのです。心の弱さ、カーッとなって冷静さを失うところがあります。自分の身体をコントロールするという真の強さは手にしていないのです。自分のバカぢからに自惚れ、うまく力を出せないでいる。強がってみたり、カッコつけたり、見栄を張ったり、結局のところ、本当に大切な時には何もできない。そっくりです。中学生の男の子は、そういう存在なのです。人間というのは、発達段階を一つ一つ登っていく存在ではなく、プライドやカッコよさ、美しさやかわいらしさ、といった面だけが先にぐいっと成長し、身体的バランスや冷静さ、世界をじっくり見つめる目などは、遅れて、あとの方からじっくり伸びてくるのです。ある時にはバカ力を出してみたり、またある時には全くやる気を失ってみたり、少年は「調整」ができないのです。
 映画の後半では、東丈が、本当の力を手に入れていくプロセスが描かれています。東丈が一人前の超能力者に成長するのが先か?幻魔の先発部隊が超能力者たちをつかまえるのが先か?まさに一瞬たりとも無駄にできないその時間の中で、かろうじて東丈の成長が早かったのです。東丈が、本当の力を手にする前に、気付いたことがあります。それは、地球の生命は、人間だけではない。無数の動物たち、植物たちも一緒なのだということ。思い出すのです。自分が死にたくないから戦う、のではないのです。守るべき人、守るべき無数の命、そのために戦うのです。逃げるために戦うのではなく、守るために戦うのです。自分の身体は、どうなってもいいのです。そう思った瞬間に何か一つふっきれたのだと思います。最後には多くの仲間たちとともに、幻魔と戦い、そして見事に勝利するのです。
 人間世界の事柄については、クラシック超能力の激しい戦いの時には、キース・エマーソンの不思議な雰囲気の音楽が流れます。超能力を表現するにはピッタリです。巨大な球体の炎との戦いでは、超能力者たちが力を合わせて戦います。ピンチを乗り越えるのは、相手の弱点を探し出し、有利に戦いを進め、力を合わせることによって、成し遂げることができます。力を合わせるというのは、それぞれの長所や特性を発揮して、全員で一つの動きをする、ということです。(たんなる合力ではないのです!)このあたり、正統な物語構成がまっすぐに描かれていて、見ている側の心をぐいぐい引っ張っていきます。小説版や漫画版は、大火竜との戦いは、あくまで前哨戦であって、幻魔の本体はまだ到着していないということが示されていますが、映画では、あたかも幻魔大王が消滅したという描き方をしています。
 重要なことは、物語自体はここで終わりだということです。超能力者たちが団結し、見事に幻魔を倒すことができるということが分かった時点で、あとは、似たような戦いが繰り返されるということなのです。このレベルまで到達するのが物語なのです。売れたらパートⅡ、という陳腐な商業方法に向かうことなく、これで全て終わりです。何度見ても文句なしの名作だと思います。いわゆる最近のアニメに見られるような「萌え」は、殆どありません。ドタバタコメディも、キザなセリフもありません。「こりゃ~ ○○だにゃ~」等という気持ち悪いキャラクターもありません。(なんで最近のアニメは、ああやって舌先をひねって、変な喋り方をするのでしょう)
 悲しい時には「悲しい」悔しい時には「悔しい」苦しい時には「苦しい」嬉しい時には「嬉しい」そんなストレートで、真っすぐな、人々の言葉で満たされています。それゆえ、アニメの良さを十分に残しつつも、リアルであり、シリアスで、重く、そして深い映画に仕上がっています。日本人は本気を出せばこんな素晴らしい作品が作れるのです。
(東宝、1983年公開)
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Posted on 2011/12/24 Sat. 01:36 [edit]

category: アニメ・特撮

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