「行政主体のイベント」考  

1.
 原発についての討論会という名のイベント。政治についての意見を聞くというタウンミーティング教育基本法改正の時にもタウンミーティングがありました。行政主体でイベントを行う場合には、かなりの程度、操作が行われます。いわゆる「やらせ質問」です。一般人を装いながらも、実は電力会社の社員であって、しれーっと原発賛成意見を言うのです。よくテレビ等でそれらの実態を明らかにするのですが、何が問題であるか。私たちはそれをどうとらえるかについての十分な議論はありません。「ええええっ そんなことがあったの? 誰が責任をとるの?」という話で終わるのです。もう少ししっかりとした議論が必要です。やらせ質問それ自体が問題なのではなく、やらせ質問やその他様々な演出をしようとする動機及びその構造が問題なのです。行政主体のイベントそのものに本質的な問題があります。
2.
 イベントとは何でしょうか?企業でも同じようなことがあるかもしれません。イベントは、告知をしてその魅力を伝えるのは、主催者側の仕事ですが、 集まるかどうかは、人々が決めることです。「呼びかけても集まらなかった」ということは十分にあり得る話なのです。イベントを企画しても、人が集まらないというのは、 すなわち魅力がないということです。ということは、もはやそのイベントは失敗なのです。その失敗を失敗と認めて反省することが前進なのであって、失敗を別のもので隠して、サクラややらせ質問で盛り上がっておいて「大盛況でした」と結論付けることは、後退なのです。そういうことはやってはならないのです。小さなところで無理をすると、大きな失敗やゆがみを生じることになるのです。情報提供や魅力を伝える側の人間は、人々が集まるか、集まらないかという結果を、素直に受け入れるべきなのです。集まりそうにないと分かったら、有名人を呼んだり、食べ物をふるまったりすることもあります。そうやって魅力を追加して人を集めようとします。この時点で、もはや邪道なのです。イベントは、その中身によって集まるのであって、「おまけ」で人を集めてはならないのです。おそらく主催者は、簡単なことをちょっとすればどっと人が集まってみんな大喜び、というふうに考えているのです。おそらくイベントの主催者は、「この程度やれば十分だろう」という感覚でやっているのです。「本当にやりたくてやっている」のではなく、「やらなければならない」からやっているのです。この時点で「無駄」です。

3.
 討論会の場合は、どうでしょう?行政による政策を提示して人々の意見を聞く、というイベントをすれば、当然ながら反対意見が集まります。わざわざ足を運んで議論に参加しようという人間は、 たいていは行政に不満があったり、異議申し立てがあったりする人です。ですから主催者側は、こう思うのです。「本来ならば賛成意見が多いはずなのだが、このような討論会では反対意見ばかり出てくる。 それでは世論を正確に反映したものにはならないので、賛成意見を誰かに言わせよう。」そんなふうに思うところから賛同意見を出すように裏工作をするのです。このようなイベントには本質的な問題があります。それは、もともと「賛成意見を集めてそれを支えにして政策を勧める」というシナリオが 最初から用意されているという点です。「政策が不確定な状況で、人々の多様な意見を聞く」ということか、もしくは「Aという政策についての反対意見を聞く」ということが、本来のイベントの形です。自分たちが進めようとするAという政策について賛成意見が多く寄せられました、というのは、あまりにも夢物語、一方的な願望なのです。そんなに都合よく人々は動いてくれません。

4.
 行政主体で実施する場合、目的が最初から決まっているのです。一定のプランが最初から用意されていて、データを集めようとしているのです。彼らは最初から「国民的議論に従う」というふうには思っていません。当初より目的が決まっているわけですから、行政が市民を教育するという側面が強いのです。日本全国のあちこちで無駄な啓蒙的イベントが行われています。「イベントを起こせば、社会が変わる」「イベントを開けば、時代が変わる」という、極めて幼稚な発想が永遠に続いているのです。だとすれば、いかにしてその場面を演出するかということがテーマになります。行政は、国民から税金を集めて運営しています。究極的には国民のために全ての政策が行われます。しかしタウンミーティングや討論会は、国民の意見を聞くためではなく、今後使用する税金の使い道についての、国民の賛同を集めるためのイベントなのです。最も本質的な問題は何でしょうか?おそらくそれは行政が、当初の目的や方向性を、修正できないこと、にあります。「あ、ごめんごめん、おいら、間違えていた、ちょっとやり直し!」ということが出来ないシステムになっているということです。ですから当初に考えていた方向性や目標は修正されることなく、徹底的に進んでしまうのです。そして結果的には多くの無駄な金が使用されるのです。パラドクスです。税金を無駄に使わないための努力が、税金の無駄遣いを引き起こすのです。間違いや失敗を隠そうとする体質が問題です。その問題状況がなぜ繰り返されるのでしょうか?イベントをしようと提案する人間と、それを遂行する人間とが別だということが原因です。イベントを開催すればいい!と発想する人間は、自分は何も苦労せずに、号令だけかけておいて、あとは知らん顔をすればいいのです。遂行する人間は、イベントがうまくいかないということを肌で感じながらも、もはやその動きを止めることができないのです。役割分担は、非常に危険なのです。

5.
 本当に楽しいこと、魅力的なことをやれば、人は集まります。人が集まるためには、小さな努力をコツコツ重ねていく必要がありますし、活動の根本的な部分に、面白そうなものが含まれていなければなりません。そして最初は少ない人数だけが参加しますが、その少ない人々を楽しませて、幸せにするということを着実にこなしていけば、必ずリピーターが増えてくるのです。口コミで広がるのです。人々は本質的な感動によって動くのであって、見え透いた大衆操作では動かないのです。以上、何の権限もない、地味な人間の遠吠えでした。
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Posted on 2011/12/10 Sat. 00:14 [edit]

category: 社会・教育

thread: 政治・経済・時事問題 - janre: 政治・経済

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