『崖の上のポニョ』感想  

1.
 そもそも、これが何の話なのかということが一番重要です。解釈がないところでいくら感動してみせても、しょせん「絵がステキ」「かわいい」程度のことで終わります。重要なのは、「これが何を示しているのか」ということです。クトゥルー神話や、他のジブリ作品などと関連付けなければ理解できないというものであれば、私はあまり支持しません。解釈としてはその方が正解なのかもしれませんが。私は、予備知識ゼロで解釈できることが重要だと思います。また、制作者の側も、そのような解釈の可能性を残してくれているのだと思います。
2.
 ある海岸に面した小さな岬、その先端に住むリサと耕一、そして宗介。耕一は貨物船の船長で、滅多に家には帰ってきません。そんなある日、リサと耕一がラブコールを交わします。その後、巨大な洪水が起こります。(このシーンは、東北震災後の洪水を想起させます。当分この映画はテレビでは放映されないでしょう)この洪水とは何か?おそらくは、現実の洪水ではありません。これは、リサの身体の変化だと思います。ラブコールが届いたことによって、リサの心身がそういう特別な状況になったのだと思います。(すなわち、濡れた、のです)今から、性交から生命の誕生へという大きな物語が始まるのです。この物語はリサの外部で起こっているように見せかけていながら、リサの身体の変化を描いているのだと思います。海=女性、陸=男性、そういう意味があるのだと思います。海の底深くの卵巣から、ポニョが登場します。陸からは宗介が、海岸、崖の地点まで行きます。ポニョは卵子で、宗介は精子です。崖というのは男女が出会う場所であり、精子と卵子が出会う場所です。
 海の中にいるフジモトは、リサの身体の中にある父性のようなもの(あるいは処女膜)あるいは、リサの父親が像としてリサの心の中に侵入した姿なのかもしれません。フジモトは、最初は宗介と出会ったポニョを取り戻しに行きます。「月が世界を崩壊させる」というのは、月経が女性の身体を大きく変化させるということを示しているのでしょう。海の中にいるグランマーレは、リサの身体の中にある母性のようなもの(あるいは女性としての歴史的記憶)あるいは、リサの母親が像としてリサの心の中に侵入した姿なのかもしれません。ポニョ(卵子)は、魚や爬虫類の記憶を持ちながら、人間になりたいと思い、卵巣を飛び出します。(人間の赤ちゃんが母体の中で魚や爬虫類の記憶を体現するといいます)宗介は、リサを「お母さん」と呼んでいません。なぜでしょう?まだリサは、子どもを産んでいないのです。リサは出産前の女性です。(だからこそ乱暴だったり、不摂生だったりするのです。)宗介は、このエリアの中では女性にモテモテです。それは、おそらく宗介=精子が、リサの身体に受け入れられているということでしょう。ここに住む老婆たちは、何を示しているのでしょうか?彼女たちは、リサの身体の諸器官だと思います。宗介はポニョと出会う。二人は無条件で好きになります。なぜ二人が引き合うのでしょうか?精子と卵子は、お互いを無条件で受け入れている、ということだと思います。そこに理由(例えば、かっこいいから、等)は必要ないのです。ある人は、海水と水道水の違いを指摘して憤慨していましたが、ここでの海は、実物の海を表現しているものではありません。
3.
 この映画のクライマックスともいえる洪水のシーンで、ポニョは、宗介と再会します。(ライスシャワーは、リサと耕一の結婚式かもしれません)ポニョと宗介が再び出会った頃、嵐は過ぎ去ります。ポニョがハムやインスタントラーメンを食べたがるのはなぜでしょうか?母親が食べているものがそのまま卵子に届くという意味かもしれません。(すでにリサの食生活が、赤ちゃんにも影響していると思います)あるいは、ポニョが動物ではなく人間になりたいと思っている姿なのかもしれません。(このあたりは自信がありません。)電気が消え、電波が届かなくなるというのは、女性の身体が休息状態になり、さらには他人の意見も聞こえなくなるということでしょう。静かな夜を迎えているのかもしれません。再びリサがデイケアサービスセンターに行くというのは、リサの意識が再び外に向かってしまったことでしょう。フジモトが家を訪れた際に「結界がはられていた」のは、すでに精子と卵子が共鳴しあっているということ。この時フジモトは、ポニョを連れ戻すのではなく、受精させることが適切だと判断したのでしょう。
 最初は、ポニョを連れ戻すことばかり考えていたが、後半では、時間がない、急げ、ということを強調するようになりました。岬が沈没することは、すなわち人間の秩序と自然の秩序の対立が無くなること、人間がたんなる自然の一部になることであり、それが出産の条件だということです。頭で考えて、子どもを産むのではありません。宗介とポニョは船に乗って家を出ます。船は男性器を示していると思います。(順番は若干前後したりしますが、これは勃起を示している?)古代魚がいるというのは、どういう意味でしょうか。人間と自然の分離する前の状態。私たち人間の遺伝子は、太古の昔の記憶を持っています。ポニョと宗介は、夫婦と赤ちゃんと出会います。これは何でしょう?ひょっとしたら過去の記憶?輪廻転生のようなものかもしれません。
 トンネルに入るとポニョが眠くなります。受精の準備に入ったのでしょう。かつて宗介がそこに来たというのは、以前受精に失敗したということ。車椅子の老婆たちは、リサの身体の諸器官を表現しているのだと思います。特にトキは目的や論理を重視する部分。自分の身体が出産に向けて変化するのを受け入れられない。他の老婆たちが歩けるようになったというのは、母性が十分に機能していなかったが受精によって機能するようになったということ。「海の中で身体が軽くなった」ということではないのです。グランマーレは、長い時間をかけてリサに母性を伝えています。何を話しているのでしょうか?自分の身体に対して無頓着で、無謀な生活をしていたリサに対して、出産に向けて女性らしさ、母親らしさを身に着けるように、様々な知識や精神を伝えているのでしょう。そういう機会は必要です。ポニョと宗介がキスをするというのは、受精が成功するということ。フジモトは心配です。早くしなければ受精に失敗するかもしれません!ヘリや車が登場したということはリサの意識に外部(社会)が入ってきたということ。キスをして映画が終わります。「結末があっけない」という声も聞かれます。なぜここで終わりなのでしょうか?キスをした段階で精子と卵子が結合するわけですから、それ以降は、ポニョも宗介もいなくなってしまうからです。
4.
 分かりにくい作品=素晴らしい作品、ではありません。逆に分かりやすい作品=素晴らしい作品、でもありません。予備知識があれば楽しめる、なければ理解不能、というのはそれはむしろ悪い作品です。私はこの作品を上記のように、特別な予備知識なしで、とらえることによって、深い感動を得ることができました。これは私の勝手な解釈です。この映画は生命が誕生するということを、美しく感動的に表現しているのだと思います。細かな箇所では、別の解釈が可能であったり、そちらの方が妥当だったり、ということがあるかもしれません。しかし受精と出産という、大きなテーマがあるというのは、これはおそらく間違いないと思います。(2008年、東宝公開)
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Posted on 2011/12/01 Thu. 21:25 [edit]

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