映画『さよなら銀河鉄道999』感想  

1.
 機械によって支配され、機械によって人々が殺されている。そんな現実からスタートします。機械は、人間を支配し、人間を殺戮するのです。人々は立ち上がり、宇宙のあちこちで戦乱が起きていました。戦闘用ロボットも多く登場します。鉄郎はレジスタンスに加わっていました。とても勇敢です。鉄郎は思うのです。「機械化母星は滅んだんだ。この目でちゃんと見たんだ」パルチザンの男たちは、生きる希望を失っています。「俺たちは負けたんだ」そんな言葉が聞こえてきます。鉄郎が勇猛果敢に戦おうとする姿を見て、男たちは、「若いってのはいいもんだ。 どんな小さな希望にもじぶんの全てをかけること ができるからな。」鉄郎は、最後の望みを「銀河鉄道999」にかけ、銀河鉄道999に乗ろうとします。パルチザンたちが命をかけて鉄郎を支え、鉄郎は銀河鉄道に乗車します。鉄橋の倒壊シーンは、素晴らしい。音楽も、映像も、素晴らしい。感涙です!かつての夢の超特急が、崩壊していく姿です。
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 パルチザンの老いた男は、心の中でこうつぶやきます。「いつかお前が戻ってきて地球を取り戻した時 大地を掘り返したら わしらの赤い血が流れ出すだろう。 ここは我々の星だ。 われわれの大地だ。 その赤い血を見るまでは死ぬなよ。 わしらのせがれよ。」この衝撃的な光景が、心に残ります。この光景は、この映画全体を方向づけているように思えます。機械が人間を殺すという絶望的な世界観と男たちの死、その中で唯一の希望が、少年の心なのです。少年の素晴らしさは、「現実を見つめないこと」という、素晴らしい精神にあると思う。大人になればなるほど、経験を積んで、学習し、未来予測が出来るようになる。現実を見つめるようになる。それと同時に、知り尽くした世界を新しく変えることや、予期できないことが起こるという突然変異の可能性を、信じなくなってしまう。私たち大人は、一般的に言って、若者の姿を、嘲笑してしまうことが多い。しかしながら、私たち大人が出来なかったことを、子どもたちが叶えてくれるかもしれないというその部分にもっと期待するべきだと思う。私たちは先に死ぬ。その後のことは子どもたちに任せよう。それは本当の意味での「つながり」だと思う。そう思えば、死ぬのは怖くなくなるでしょう。
2.
 銀河鉄道999に乗車した鉄郎は、いくつもの謎に包まれながら旅を続けます。(999の行き先、幽霊列車、ミヤウダとの出会い、黒騎士ファウスト)鉄郎は、惑星ラーメタルで、メーテルと再会します。分からないことがたくさんあるのに、メーテルは何も教えてくれない。毎日同じ顔を見ていれば飽きるはずですが、メーテルと一緒にいると、不思議と飽きることがありません。それは、おそらくは、一定の距離感があり、相手の本性がつかめないからです。何か質問されても知らん顔をする。何もしゃべらずにそこに座っている。その謎が、美しさを引き立てます。無言で悲しそうな表情をするメーテルから、わたしたちはそのような深い心境を読み取ることができます。最近のアニメや映画などは人物の内面を描きすぎると思う。喋りすぎ!全部喋ってしまえば、逆に、魅力を感じなくなるのです。少年は、母親への愛を持ち、その面影を持つ女性を探していきます。少年にとっての初恋とは、そのような性質なのです。そしてそれは目の前の女性の本当の姿を見ているのではなく、面影を追っているだけなのです。そんな恋愛は成功しません。メーテルとしては、この旅の最後には命の危険を冒すことになるわけですから、鉄郎と二人でどこかの星に逃げ出したい。二人でひっそりと幸せに生きていきたい。そんな心境でしょう。夢と希望を持ち、勇敢に戦い、迷ったり苦しんだりする姿は、女性から見れば母性本能をくすぐる。とても魅力的な姿に見えます。しかしそれは、この時期だけの話です。まもなく少年は大人になり、そうすれば全く別の人格へと変わってしまう。メーテルと鉄郎の間の恋愛は、決して成就するものではありません。メーテルが右から歩いてきて、鉄郎が左から歩いてくる。その交わったその瞬間の、一瞬のトキメキです。それは永遠ではありません。そんな関係。『エターナルファンタジア』では、メーテル以外に美少女が出てきます。それは『銀河鉄道999』の世界観をぶち壊しているようなものです!
3.
 機械帝国の首都 惑星大アンドロメダに向かいます。メーテルがこれより先へ進むと後では戻れない、ということを言います。それは単に路線のことを指しているだけではありません。死ぬかもしれないというような意味も含んでいるでしょうが、それだけでもありません。真実を知ってしまったら、もうこれまでのような人生ではいられない。そんな意味だと思う。999が先へ進む際の音楽と映像がとても素晴らしい。キーボードによる不思議な曲が流れます。雲や海や光の渦が描かれます。勿論これはイメージなのですが、この思い切った表現は、言葉では言い表せないほど素晴らしい。緊張感、ドキドキ感、謎に包まれた世界への入り口、メーテルの心境、鉄郎の心境、そしてわたしたち視聴者の心境をあえて映像にする。そんな工夫と感性にただただ感動するばかりです。ラストで全ての謎が解けるわけですが、それはとても衝撃的な内容となっています。この映像と音楽はそれを予感させるに十分な演出です。
4.
 惑星大アンドロメダに到着です。そこにはプロメシュームの魂が以前よりもいっそう巨大な存在となっていました。(肉体そのものはもう滅んでいたわけですが)鉄郎は、メーテルに連れられて中枢部の誰も入ることの出来ない工場に案内されます。遠くで轟音が鳴り響く。(不気味な雰囲気がよく表現されています。)なんとそこは、人間から命の火を抜き取る工場だったのです。ここで抜いた火を小分けして、カプセルに詰めて、機械化人はそれを食べて生きていたのです!!機械人間は、原子エネルギーとか、太陽光エネルギーとはではなく、人間の命を食べて生きていたのです!!!!!永遠でも何でもないじゃないか!!!…ということは、機械たちは人間を絶滅させたいのではなく、永遠に人間たちを生かしながら、それでいて人間たちを搾取しつづける、それが目的だったのです。内部を破壊していく鉄郎。メーテルは、それを予想していたのでしょう。メーテルはプロメシュームを殺そうとする。鉄郎は次々と破壊していきます。中枢部から激しく炎が立ち上ります!プロメシュームは黒騎士ファウストに命令を発します。「メーテルと鉄郎を殺せ」その後、ハーロックとエメラルダスが登場します。彼らの目的は、機械帝国の破壊ではなく、鉄郎の保護です。メーテルと鉄郎は、プロメシュームを殺すことが出来ません。危機一髪、999に乗り込みます。追手が来ます。999の一部は崩れ落ちてしまいます。急いでハーロックが支援にまわります。
5.
 ここでサイレンの魔女が登場します。機械エネルギーを充満したため、サイレンの魔女を呼び寄せた。一切の機械が飲み込まれてしまいます。ハーロックは人力操舵に切り替え、999もまた人力で操縦する。惑星大アンドロメダは、殆どが機械ですから、全ての機械を飲み込んでいくことになります。機械人間の悲鳴が響きわたり、無数の機械がまるでブラックホールかのように吸い込まれていきます。
6.
 鉄郎と黒騎士ファウストの最後の戦いです。一見すると、ファウストが鉄郎に最後の決闘を挑むという形になっています。鉄郎は身を守るためにファウストとの決闘に臨む。しかし実際には黒騎士ファウストは、鉄郎の父親でした。ファウストは、鉄郎を機械化人にするように説得するために、999に乗るように仕向けたのでした。ファウスト自身は、機械化人のことを永遠の身体、死や飢えの苦しみがないというふうにとらえているようです。ファウストは、鉄郎を殺すつもりなどありません。では、なぜ決闘を?そうです。自分はもう死ぬと思っていて、(サイレンの魔女が来て機械帝国が滅ぶので)あえて、自分の息子に殺されるという選択肢を選んだのです。ファウストの本心は、鉄郎に強くなれと言っている。俺を殺せと言っている。それは、この世で最も恐ろしい光景なのです。そして息子は父親を殺すことが出来たのです。このあたりの真実をしっかり描かないというのも、とてもよい。そもそも、鉄郎は、そのことを知らないのです。知る必要もないのです。鉄郎の心の中では既に父親は死んでいる。
7.
 こうしてプロメシュームは滅び、この世界から機械による人間支配は終わることになります。サイレンの魔女で全ての機械が吹き飛ばされてしまった。惑星大アンドロメダの本当の小さな姿。そこに小さな宇宙船が残っていました。メーテルとプロメシュームは、惑星ラーメタルを離れ、長い旅を続けてこの小さな石の星に到着し、孤独と戦いながら、永遠の命を作り上げた。そんなプロメシュームに対してメーテルは「素晴らしいお母さん! さぞつらい旅だったのでしょうね。でもやっと終わった。」そういって涙を流します。確かに考え方や生き方は、納得出来なかった。しかしその根底には、母親の辛さや努力があったのです。メーテルは、おそらく、心底母親を尊敬し、母親を愛してきた。しかし途中で何か変だと気付き、母親を殺そうと決意したと思うのです。メーテルが母親を殺すということは、自分自身の一部を切り取って燃やすような心境でしょう。このあたりの母と娘の葛藤もよく描かれています。この映画は、希望を見失った大人や老人たちが登場し、希望や夢を持ち続ける少年が登場し、希望や夢を持ち続ける女性メーテルが登場し、そして少年は父親を殺し、女性は母親を殺す。そんな宿命がテーマになっている映画なのです。
8.
 ハーロックが鉄郎に向けて語ったセリフが素晴らしい。「お前はお前の父によく似ている。 たとえ父と志は違ってもそれをのりこえて若者が未来を作るのだ。 親から子へ。子からまたその子へと血は流れ、 永遠に続いていく。 それが本当の永遠の命だと、俺は信じる。」この言葉を鉄郎に直接言うのではなく、心の言葉というところがまたいい。直接、伝えないのは、なぜでしょうか?地球のパルチザンの時と同じです。周囲の大人は子どもに様々なメッセージを発しています。しかしそれを直接音声言語にする必要はないのです。私たち大人は、子どもたちにべらべら喋り過ぎなのかもしれません。最後の曲はとても悲しい。SAYONARA様々な意味で「さよなら」です。メーテルと鉄郎のさよなら、父親、母親とのさよなら、一つの時代が終わり、一つの時代が始まるという意味のさよなら親の世代が終わり、子の世代が始まるという意味のさよなら死んでいった人々とのさよなら若者、少年という時代とのさよなら。最後のテロップ・・・そして少年は大人になるどこを切っても名場面、アニメ史上に残る名作です。
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Posted on 2014/09/21 Sun. 00:43 [edit]

category: アニメ・特撮

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