映画『銀河鉄道999』感想  

1.
 私は、以前、丘の上から夜の列車を見下ろした際、家の明かりの間を走る列車の姿を見て、「これはまるで、星空の間を走る銀河鉄道だな~」と思ったことがあります。宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』は、夜の星空を見上げる少年が、あの星座の間を鉄道が進んでいけばどうなるかなと思い描くような幻想的な物語でした。『銀河鉄道999』は、松本零士による漫画で、それを映画化したのが本作品です。物語の設定は近未来。機械化が進み、人々は自分の身体を機械に変えて、永遠の命を得ることが出来るようになっていました。とはいえ、貧富の差が激しく、お金持ちは機械の身体を手にいれて永遠に生きることが出来ますが、貧乏人は、生活が苦しく、常に死と背中合わせで生きていく。映画『メトロポリス』を想起させます。
image[c5]
2.
 星野鉄郎は、母親と幸せに暮らしたいという素直な心を持った少年でした。ところがある日、機械伯爵に母親を殺されてしまいます。鉄郎の思いは変わります。「機械の身体になって、機械伯爵を殺す!」そんな思いで、なんとかして夢の超特急、銀河鉄道999に乗り込もうとするのです。機械伯爵という存在は、とてもインパクトがあります。「無意味に殺す」ことよりも、「鑑賞用に殺す」という方が、よりいっそう、残酷なように見えます。「美しいものを見ていたい」「部屋に飾っておきたい」という気持ちと、「そのために殺す」ということの目的と手段がとてもアンバランスです。とても残酷、とても不気味です。この衝撃的な光景が、心に残ります。機械伯爵は、もとは人間だったのですが、機械の身体を手にいれ、そこから残酷な人間に変わってしまったという。つまり、機械伯爵とは、純粋に100%のロボットなのではなく、人間の欲望の一部が肥大化したという存在なのです。バランス感覚を失った存在。
3.
 さて、なんとかして銀河鉄道のパスポートを入手しようとする鉄郎の前に、謎の美女メーテルが現れます。メーテルは、鉄郎を999へと導きます。鉄郎は、とてもまっすぐです。自分の気持ちを素直に表現し、必要とあればどこまでも突き進む。とても勇敢です。その姿を見て、おばあさん(トチローの母)は戦士の銃を鉄郎に渡します。山賊たちは鉄郎を助けます。自分の命を顧みず、母親の仇討ちという目標に向かってひたすら進む姿。トチローも、ハーロックも、鉄郎の純粋でまっすぐで単純なところにひかれていきます。逆に言えば冷静さや計算というのは少ないのですが、「カッ」となるあたりは、とても若者らしいと思います。若さとは?まるで死に急ぐかのような「無謀さ」にあると思う。大人は横から見ていてヒヤヒヤします。あ、そんなことをすれば怪我をする!あ、そこでこうしなければ後で大変なことになる!大人は、冷静に物事を見つめ、現実に向き合い、自分に出来ることを行う。若者は、冷静さを失い、理想を見つめ、自分に出来ないことをやろうとする。それこそが若者の特権です。そして大人や老いた老人は、そんな若者を美しい存在だと思う。この映画の中で鉄郎は多くの人々に支えられ、多くの人々に好かれていきます。それは無謀で、情熱的で、まっすぐだからです。
4.
 冥王星に到着します。ここで鉄郎は氷の墓を見つけます。氷の墓とは、死んだ人間だけでなく、生身の身体を捨てて機械人間になった人が、自分の身体をそこに保管していくという場所なのです。(この時代、多くの人々は生身の身体を捨てて、機械の永遠の命を手に入れます。)鉄郎は、氷の女性「シャドウ」と出会います。シャドウは、この氷の墓の管理人だったのです。シャドウの生い立ちは複雑です。永遠の身体を手に入れようと、美しい自分の姿を保存し、機械人間になります。しかしどんなに機械で顔を作っても納得できずに、ついにのっぺらぼうのような顔でいる。冥王星に保管している自分の生身の身体に戻ることもできるのですが、それは出来ない。そうすれば今度は、老いていくからです。しかし機械人間として生きていくこともできない。それは美しくないからです。ではここで管理人をしていれば幸せかというとそうでもない。寂しい。そんな哀れな姿です。私は、若い女性の過度な化粧や茶髪、まるでサイボーグのような整形を想起します。美しさとは、自然であり、生命力であり、躍動であり、変化です。しかし私たちは、その美しさのまさに「美しい形態」を、固定したり、保存したり、製作したりして、永遠に周囲に配置しようとします。それは結局、美しさから離れていくのです。美しさというのは、おそらくは人間の誕生から死へ至るプロセスにおける、「一瞬の輝き」のようなものです。それを永遠に保存したいというのは、素直な欲求だと思うのですが、保存した時点で美しさの輝きは失せてしまう。またそれを努力する姿は、現実を受け入れることができず、いつまでのジタバタする姿、いつまでも満足することができない哀れな姿でもあります。
5.
 次に到着したのは、惑星ヘビーメルダー。この星の「トレーダー分岐点」です。トチロー、エメラルダス、ハーロック昔、共に戦った仲間だということが示されます。この映画だけでは過去の詳細は分かりませんが、それでも問題はありません。長い歴史があって、今があるということが伝わります。そしてここでトチローの人生が終わります。病気と死という現実。トチローがやろうとしたこと、機械伯爵を倒すという目的は、鉄郎が引き継ぐのです。ところで、このハ―ロック登場シーンは、とてもカッコ良い。素直にしびれます!!ハーロックの姿や声がカッコイイというのもありますが、このような登場シーンそのものが、カッコイイのです!もともと、ハーロックやエメラルダスは、人間が機械に支配されていようが、あまり関心はないと思うのです。彼らは海賊です。しかし今回は、鉄郎の人間性にひかれ、鉄郎を助けるために、登場し、その範囲で武力を行使するのです。鉄郎が弱いから助けるのではなく、鉄郎が勇敢で素晴らしいから助けるのです。
6.
 ついに鉄郎は、時間城の場所を見つけます。横暴で残酷な機械伯爵を倒さなければならない。ここに来るまでに機械伯爵を殺す理由が増えてきました。鉄郎は、一人で乗りこんでいきます。山賊アンタレスが加勢してくれます。機械伯爵を倒し、時間城は崩壊していきます。ここに、ギターで悲しい曲を歌う女性リュズがいます。リュズは機械人間です。リュズは、鉄郎を助け、機械伯爵とともに死ぬことを決心します。その際に鉄郎に語る言葉が印象的です。「改造に改造を続け、私は私でなくなった。 生身の頃を思い出した。あなたを見ていると、青春を思い出していたの。」機械伯爵の要求通りに整形(改造)し続けて、もはや自分が誰なのか分からなくなった。とても重いです。松本零士の意図をきいたわけではありませんので推察ですが、「時間城」というのは、私たち現代人の思考パターンのようなものだと思う。私たちは「若返りたい」「理想のままでありたい」「自分だけが永遠に輝きたい」そんな願望を持つ、その願望は、すなわち時間を支配したいということでもある。時間城とは、そんな人間の欲望を象徴しているのだと思います。
 山賊アンタレスにより時間城の中枢が破壊され、ついに鉄郎は機械伯爵の頭を破壊します。時間城が崩壊し、狂いだす。永遠の命を手にしたと思われていたリュズの身体が、…錆びていきます。「機械だから永遠」というのは厳密には間違いです!鉄は錆びます!時間城の崩壊シーンには、リュズの悲しい音楽が流れます。機械伯爵が死んで良かったという話ではありません。永遠の命を手に入れたいという人間の欲望の矛盾を描いているから、人間の壮大で巨大な願望が音をたてて崩れるから、とても「切ない」のです。「お前の復讐は終わったのか」と問いかけるハーロックに鉄郎はこう答えます。「機械化人を見ていると 永遠に生きることが幸せではない。 限りある命だから、精いっぱい生きるから 思いやりや優しさが生まれる。」 機械の身体は宇宙から無くなってしまえばいい。 永遠に生きるからといって機械の身体にしてはいけない。 機械の身体をくれる星へ行って破壊したい。」鉄郎の決意です。一見すると人間が素晴らしくて機械が間違いだというふうに受け止めやすいのですが、実際にはそうではありません。問題なのは、永遠の身体にしようとする人間の、人間らしい、欲望なのです。身勝手な貪欲さが肥大することを批判しているのです。自分がちっぽけではかない存在だと思えば、自分が弱い存在だと思えば、思いやりや優しさが生まれる。それを示しているのです。
7.
 ついに機械化母星、惑星メーテルに到着します。メーテルの謎が解けます!メーテルは、鉄郎をここに連れてきて、機械化母星の部品にするということが目的でした。メーテルを使って丈夫な精神を集め、その精神で部品を作る。鉄郎は、丈夫なネジにするというのです。「鉄郎」→「一個のネジ」このアンバランスも、とても不気味です。部品にするという目的は、表向きの目的で、その裏には、機械化母星の破壊という真の目的があったのです。(このあたりのどんでん返しは素晴らしい!)メーテルは、ここに至って、実の母である女王プロメシュームを裏切ろうとするのです。裏切られた女王プロメシュームは、メーテルに言います。「宇宙で一番美しい身体を与えた 永遠の命を与えてやった、この私を裏切るつもりか!」メーテル「そして永遠の苦しみもくださったわ」ここでは母と娘の葛藤が描かれています。機械化母星の崩壊とともに、ハーロックが援護にやってきます。ハーロックのセリフが素晴らしい!「男なら危険を顧みず、 死ぬと分かっていても 行動しなければならないときがある。 鉄郎はそれを知っていた。 鉄郎にかすりきず一つつけさせるな。」ハーロックは、鉄郎の勇敢さに、男として惚れている。これこそ友情なのです。男くさい、男同士の友情とはこういうものを指すのです。相手に敬意を払っている。(男女差別といわれても結構!)
8.
 エンディングでは、メーテルとの別れが待っていました。メーテルとは、いわばアイドルや女優のようなものです。彼女の本当の肉体は冥王星に眠っています。鉄郎がメーテルに惹かれていたとしても、それはメーテルが母の生き写しであったということ、またメーテルが謎多き人物で本心で会話をしていないということ、それらの理由からでしょう。しかもそれが明らかになったわけですから、もう一緒にいることは出来ません。最後のゴダイゴの歌はとてもよい。曲だけを聴けば単なるポップスです。しかしこの映画の最後のシーンで流れれば、鉄郎が死の危険を乗り越え、目標を達成し、全てがうまくいった際の「後味の良さ」をうまく表現していると思う。メーテルとの別れはつらい。その悲しい気持ちを、ゴダイゴの曲に乗り、線路の上を走ることで吹き飛ばしてしまおうとする。そんなすがすがしさが伝わります。こんな素晴らしい作品を、もう一度観ましょう。DVDを購入して、家族みんなで、友達みんなで、観ましょう!この作品を知らずに育った世代が多いわけですから、こういうのをテレビのゴールデンで放映すれば、一気にブームが起こるはずです!こんな名作を作ることができる日本人が、なぜ今は作れないのでしょうか?なぜ? あんな萌え萌えした作品ばかりになってしまうのでしょうか?『エターナルファンタジア』の萌え萌えは、嫌いです。
スポンサーサイト



Posted on 2014/09/21 Sun. 00:41 [edit]

category: アニメ・特撮

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://kazeandsoraand.blog.fc2.com/tb.php/245-0c1cc56e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

カテゴリ

最新記事

最新コメント

お客様

検索フォーム

リンク


▲Page top