牛島慶子『フレッドウォード氏のアヒル』感想  


M[07]




物語は文庫本サイズ4冊なのですが、

とても内容が膨大かつ重みのあるものとなっています。

本ブログではその導入部の90頁分だけを取り上げることにします。


小説家のケビン・フレッドウォードは、

過激な小説を書くことで有名でした。

サスペンス小説の中では、惨殺シーンや濃厚なベッドシーンなどが描かれます。

彼は小説家になる前は、ずいぶんワルだったようです。

彼は自分の小説を読んだ7歳の少年が殺人事件を起こしたということを知り、

サスペンス小説を書くのに嫌気がさし、田舎に移り住みます。

人を信じることが出来ず、

自暴自棄になります。

彼は、大きな屋敷に移り住むのですが、

綺麗な部屋や温かな食事は自分には似合わないと思っています。

心理的な葛藤をかかえて生活するようになります。




そんな彼が家政婦を募集します。

彼の元にやってきたのは、なんと小さな白い翼を持ったアヒルの家政婦ローズマリーでした。

言葉を流暢に喋り、

家事を完璧にこなしていきます。

洗濯、掃除、料理など、細かなところにまで配慮が行き届き、

ケビンがタバコを吸うと注意するような、

気が強くて、優しい。

そんな祖母のような存在でした。

かくして過去の苦悩を背負いながらもがき苦しむケビンと、

明るさと力強さを備え、他者に対するサービス精神で溢れるローズマリーの生活が始まります。




そんなある日、

1人の子どもクリフと出会います。

クリフは、ギャング集団の下っ端でいじめられたり、

あるいは保護されたりするような存在でした。

母親は娼婦で、仕事をしている間、路上で時間をつぶしています。

ケビンは、その子に食事をおごることにしました。

自分の幼い頃と似ている・・・

クリフは学校にも行っていませんから字も読めません。


ケビンは、学校に行ってるのかとか、

あれこれ説教しません。

クリフは、ケビンにひかれていきます。


ケビンの家にやってきたクリフ。

ケビンの家にくると、ローズマリーがいます。

クリフが汚れた服でいることにすぐ気づき、

風呂に入れます。

食事を用意して、世話をします。


クリフの目を見て、ケビンは思い出すのです。

甘えるような目、すがるような目





 ケビンは自分が子どもの頃、捨て猫を拾って家に持って帰ったことがあります。

 母はダメだといい、猫を再び捨てることにしたのです。

 その時、ケビンは信用させて裏切ったということで自分を責めてしまう。

 それ以来、捨て猫や捨て犬が嫌いになった。

 同じ目に合わせるのが怖いから。



そんなことを思い出します。

毎日、クリフはやってきます。

クリフは、母親に新しい服を買ってもらったと自慢しようとするのですが、

ケビンは仕事で忙しくてそれどころではありません。

「うるさい」と、冷たくあしらってしまい、

クリフは機嫌を悪くしてしまいます。

「俺、ケビンのこと、嫌いだ」等とローズマリーに言います。


クリフはさらに、ケビンの原稿に落書きをしてしまう。

落書きのようで、実際には、覚えたてのケビンの文字を自慢したかったのです。

ケビンは大切な原稿に落書きをされたので、クリフを叩いてしまう。




ケビンは、はっとします。





自分は何でことをしたのだ。



その時です。

幼い頃の自分の幻影が目の前に現れる。

「お前はちっとも変っていない

 22年前、この猫を捨てた俺と少しも変わっていない

 彼を傷付けることで、自分が傷付くのが怖いんだ」

そんな言葉をなげかけます。




お別れのときが来たのです。


母親と二人で列車に乗るクリフ。

見送りに行くケビン。

ちょうど母親は疲れて眠っていました。

クリフは「あんたのことだい嫌いだ」と言ってしまい、

ケビンはクリフを、ひっぱたいてしまう。

が、そこで終わるのではなく、

その後、やさしく抱きかかえる。

列車は動き出す。

クリフは何かを伝えようとするが、

ケビンには聞こえない。


  もう二度とふたたび逢う事はないだろう。
  だからこそ、俺は願わずにはいられない。
  神様 彼をお守り下さい。
  神様 ぼくをお守り下さい。








さて。

ここまでで全体の10分の1の分量ですから、

密度の濃い物語であることが分かります。

この後、

様々な出会いや発見を重ねながら、

主人公ケビンの人格がどんどん変わっていくという、

素晴らしい作品となっています。




今、子どもの教育は、学校が占有しているような状態です。

本来、大人と子どもの関係というのは、

本漫画で描かれているような面が必要です。

というのも、

大人は、模範的過ぎるのです。

子どもに接する大人は、真面目で正しい道を歩んでいるという人格者が多い。

学校の先生は、その多くは人格者であり、真面目であり、

正しい言動をしている。

それゆえ、その後の大きな問題をもたらしているのではないか。


子どもは、当然、間違った生き方をするのですが、

それ自体は価値のあることなのです。

子どもは、

物を盗んだり、相手を傷付けたり、ルールを破ったりするような存在です。

どんな大人が注意するべきでしょうか?

聖人君主のような道徳的人格者が注意しても、

彼には伝わりません。

実際に、自分自身も悪いことをしたというような者が、

間違った道を進む気持ちも分からなくはないというような共通感覚を持ち、

自分自身の過ちを批判するという立場から、注意するべきです。




今回のクリフとケビンの関係ですが。

クリフがケビンにひかれていったのは、

ケビンが自分と同じような感覚を持ち、しかも

その延長線上にある大人だったからです。

いわばマイナスの感覚を共有していたからです。



それだけではありません。

ギャングの大人とは違って、

マイナスの悪い部分をなんとか克服しようという前向きな姿がある。

というのも、その部分とはローズマリーが醸し出す部分でもある。

クリフは、自分の弱さに対してケビンの強さ

自分の心の不安に対してローズマリーの暖かさを感じていたのです。

ケビン一人だけの生活であれば、クリフはここまでケビンにひかれていかなかったでしょう。

ローズマリーがケビンのもとにいるという状態がゆえに、

クリフはどんどんひかれていったのです。



クリフがケビンにどんどん近づいていくと、

今度はケビンに認めてもらいたい、褒めてもらいたい、というふうに思うようになります。

しかしケビンはそれには応えてくれません。

クリフは機嫌を悪くしてしまいます。

本当は「認めてもらいたい」のですが、

「認めてくれない」のならば、

「僕はあなたを嫌いになる」という形で対応しようとするのです。

ケビンが「あ、ごめんね、俺が間違っていたよ」といってくれることを期待する、

あるいは仕向けるのです。

このあたりのやりとりは、とてもリアルです。




ここでの、ケビンの心の動きが興味深いです。

ケビンは、幼い頃の自分を思い出します。

幼い頃の自分が、猫を助けることができなかったという罪悪感を思い出します。

助けたかった、

猫や犬はかわいいから大好きだ、

という素直な気持ちがあり、

しかし助けることは出来ずに、苦しめてしまった、

という結果がある。

「動機」と「結果」が反しているのです。

だったら、最初から犬や猫に気持ちを向けるべきではないというふうに考える。

そんな結果になるのだったら最初から無視する。

動機と結果が反しているというのは、辛いことです。

自己同一性が保てないからです。

壊れるのです。

自分が壊れたのであるから、

自分が壊れないようにする。

そんな感覚です。


さて、大人になったケビンの前に、

とてもかわいい子ども、クリフがいる。

クリフは自分に寄ってきている。

助けて欲しいと甘えている。

本当は気になっていて、いろいろと世話をしたり、一緒に遊んであげたり、したい。

しかしなぜか、クリフに冷たく接してしまう。

「こっちへくるな」「よるな」といった言葉をかけてしまう。

それはなぜでしょうか?


助けようとしても、最後は助けられなくなる。

優しくしたくても、最後は傷付けてしまう。

「動機」と「結果」が反してしまう。


そういうふうに思考が働くのです。

それでは、自分が壊れてしまう。

もう、自分は壊れたくはない。

だから冷たくするということによって自分を守る。

そんな心境でしょうか。



最後に、ケビンは、クリフに優しく接してあげることにします。

それは何を意味しているのでしょうか?


「動機」と「結果」が相反していても、いい。

そんなことを気にしない。

自分の素直な気持ち「動機」にしたがって行動しよう。

そんな意志です。


最後のケビンのセリフはとても印象的です。

もう二度と逢わないだろうから、神様に祈る。

もう、あの子と逢うことはない。

今後の「結果」は分かりません。

だからこそ祈るのです。

これからも何度も逢えるのであれば、

その時に世話をしたり、声を掛けたりできます。

逢えないから、信じる。

逢えないから、願う。

とてもポジティブです。

ケビンは一つ、変わることができたのです。

「神様 彼をお守り下さい。」というのはケビンのセリフですが、

「神様 ぼくをお守り下さい。」というのは誰のセリフでしょうか?

これはケビンの頭の中で発せられる、クリフのセリフです。

クリフが神様にお願いするという形態をとって、

ケビンがお願いするのです。

なぜこんなことをするのか?

ケビンは、クリフの中に過去の自分を見出しているからです。

クリフの気持ちになって言葉が出てくるのです。









話は戻ります。

クリフが新しい洋服を母親に買ってもらったというシーンです。

クリフの母親の存在は、殆ど登場していませんが、

重要なことを示しています。

ローズマリーが

クリフをお風呂に入れて、洋服を洗濯して、食事をとらせました。

そのことが母親に何か気づかせたのだと思います。

自分は何もしてやっていないのに、

自分以上に母親らしく接してくれる人がいる。

はっとしたのだと思う。

このままではダメだ、

おそらくその母親はそんなふうに思ったのでしょう。

クリフは母親に洋服を買ってもらったということを自慢しようとしますが、

これはたんに洋服の自慢ではなく、

母親が僕の方を振り向いてくれたという喜びです。

母親は、今の生活を改めようと思い、

それで引越を決意したのでしょう。

そんなやりとりはここでは描かれていませんが、

読者はそれを感じ取ることができます。








さて。

話はこの物語全体についてです。

なぜ、アヒルだったのでしょうか?

家政婦のアヒルは、

母のようであり、姉のようであり、教師のようでもあり、

ただし妻ではない。

職業であって、家族ではない。

そのような微妙な立ち位置なのです。

おそらくアヒルでなかったならば、

ケビンは彼女を妻や恋人のように扱っていくでしょう。

アヒルということは、その方向性を禁止するという意味があります。


ローズマリーの個人的な問題やワガママやダメな部分は、

ここでは殆ど出てきません。

主人公のケビンの人間性がどんどん変わっていく一方、

ローズマリーの人格は変わっていません。

ホンネは出てきていません。


物語全体の最後。

ケビンは、今後もローズマリーに一緒にいて欲しいと思うのですが、

ローズマリーは家政婦なのでいったん仕事を辞めますという答えを出す。


ケビンから見れば、理想の母親像といったところでしょう。

このような母親像を、良妻賢母と呼んでも良いかもしれません。

家事をこなし、育児を徹底するという男性や子どもの側の要求に応える姿です。

一人の人間あるいは女性としての感情や振舞いは要求されていません。


ケビンは最後に、あ、そうだったのだ。

ローズマリーは仕事をしていただけだったのだと気付くのです。




人間らしい人間を見事に描いている漫画だと思います。


少女漫画というのは、

短いページの中に複雑な物語を凝縮していますね。

一つひとつのシーンが繊細で、深みがあって、

膨大です。


(コミックスは1992年~1995年)
スポンサーサイト



Posted on 2014/07/09 Wed. 20:56 [edit]

category: 漫画

tb: 0   cm: 0

コメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://kazeandsoraand.blog.fc2.com/tb.php/240-116b0e91
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

カテゴリ

最新記事

最新コメント

お客様

検索フォーム

リンク


▲Page top