遠藤淑子「コアラの行進」感想  

M[06]


今回は少女漫画です。

『だからパパには敵わない』の中にある短編漫画をご紹介します。

ごんたろうが少女漫画を真剣に読んだのは、おそらく初めてです。



タイトルは、例のお菓子にかぶせてあります。

主人公は、女性フィオミア。

フィオミアの兄は、アメリカ有名企業ヘリオット社の社長レリックです。

ヘリオット社は、ペット用コアラを開発、販売しました。

かわいくて、ストレスにも強く、人に馴れやすい。

そんなコアラです。




フィオミアは、兄レリックの間違いを正そうとアメリカに行きます。

兄を説得しようとします。

兄は、子どもの頃から秀才で、金のために何でもするというタイプでした。

なかなか説得しても伝わりません。



兄は、ふと新しいペットであるコアラを、フィオミアに送りつけてその世話をさせることにしました。

フィオミアは、コアラと接していると、素直に、かわいいと思う。

しかしフィオミアはコアラの世話をしていて気づくのです。

生後3年4年たつと白血病で死にやすい。


社長レリックに問い詰めると、意図的にそのように操作をしたといいます。

ペットブームは3年4年で終わるだろうということなのです。

金儲けのために、動物の命を何だと考えているのでしょうか。

酷い。

そんな社長ですから、

動物愛護団体から命を狙われることもあります。

ある日。

野生生物保護団体が要求をつきつけてフィオミアを拉致監禁しました。

武装しています。



間一髪のところを助け出したのは、社長ヘリオットでした。

保護団体とヘリオットの会話です。


保護団体のメンバー「動物の犠牲の上に成り立つ発展はもういい」

ヘリオット「人間の存在自体もう不自然なものになっているのに今さら自然の仲間入りをしようと手をつくしてももう遅い」

保護団体は、警察に捕まります。




ストーリーは、そのような、深刻なものなのです。

そこに、兄、妹、母親といった複雑な人間関係が重なっていき、

なかなか重いドラマになっています。










さて、

私たちは、「自然」ということに価値を見出します。

動物たちを自然のままにしておくこと、自然の摂理の中に置いておくことをとても大切にします。


その一方、私たちはその自然に手をつけ、温かさや美しさを取り出し、自分の周辺に置き、時には剥製にしたり、時には友達にしたり、

時には家族にしたりして、楽しむのです。


人間は、美しい自然の状態が好きなのですが、

手を入れて操作し、取り出した時には、一部の切り取りになってしまい、本来の姿ではなくなってしまう。

ペットであっても、動物園であっても、

それは同じことだと思うのです。

それが残酷だとか、かわいそうだとか、

議論しようとしても、上記の構造は変わらない。

人間が人間であり続けるということそのものの問題なのです。

そうしたテーマがうまく短編漫画の中に凝縮されていると思います。





ごんたろうは、

この漫画を読んで、別のことに気づきました。

重い話なのに、そんなに重くないような雰囲気で淡々と進みます。

コアラってかわいいよね、という箇所もあって、

ふわふわと流れるように進んでいく。

それがふわーーっと展開し、

さらっと終わっていくのです。

この内容をテレビドラマにするならば、サスペンス物になるでしょう。

あるいはうまくふくらませていけば映画のようになるかもしれませんね。


冗談やギャグが含まれているのですが、

それが原因なのかもしれません。

画風や、絵の構図が関係しているかもしれません。

例えば保護団体が武装しているというシーン。

もし少年漫画であれば、もっとリアルに、重々しい姿と険しい表情が描かれると思うのです。

それが、この漫画では、かわいいくらいに描かれている。




おそらくこれは、

中学生くらいの女の子が読者であると想定しているからかもしれません。





登場する人物が女性的であり男性的である。

そういう点にも目が行きました。

画風がそうだというだけではないのです。

登場する女の子は、男性的な会話や動き方をする。

登場する男性は、とても美しくて、言葉も優しい。汗臭さがない。




また、細かい部分なのですが・・・

洋服が変わる。

少年漫画では、そんなに頻繁に洋服を変えることはありません。

このような短い話の中で洋服が変わると、

あれ、別人か?と思ってしまうくらいです。


そのあたりも少女漫画らしさということでしょうか。












ごんたろうは知らなかったのですが、

少女漫画といえば恋愛ばかりだと思っていました。

『花とゆめ』連載の漫画は、アンチ恋愛物を集めたようなのです。

(福田里香による解説)

なるほど。


遠藤淑子作品を含めた『花とゆめ』作品群は、

もともと恋愛物の漫画を読んできたような少女たちに、新しい世界を提示し、広げていくような位置だったのです。

ですから、絵の雰囲気や話の展開の仕方は、依然として恋愛物の方向性を引きずっていて、

(また、それがゆえに新しい世界観を作り出している)

その中にドラマ的な映画的な要素を取り入れているのでしょう。


結局は、恋愛にはつながらないのです。

恋愛という落とし所を避けるわけですが、

勝利や破壊といった少年漫画のようなところでは、落とし所が見いだせないので、

登場人物の深い心の変化、相手とのかかわりの変化に向かっていくのです。









一方、

少年漫画は、もっと単純です。

『ジャンプ』連載の漫画などは、ケンカをし続けていて、そのうち友情が芽生える。

という程度の内容を延々と繰り返していきます。





少女漫画は、心の深みを描いていきます。

両親が離婚して、再婚して、代理母で・・・

という状況から、複雑な心理が形成されていきます。


ごんたろうがこれを読むと。

少し、疲れる ・・・ といえば語弊があるでしょうか。

コミックス3巻分くらいの内容が、

わずか数ページに圧縮されているような気がしたのです。

逆に言えば、

ごんたろうには

そういう複雑な設定を受け止める認識が、育っていないのです。





あるいは、

こういう言い方が適切だと思います。

少年漫画を読む少年は、

迫力とスピードと、破壊や争いがあると心地よく感じる。ドキドキする。

一方少女漫画を読む少女は、

複雑な会話と心の微妙な変化がよく描かれていると心地よく感じる。ドキドキする。



男の子はズドーンとまっすぐな道をつっぱしる。

女の子は周囲の小さな変化を感じながらゆっくり散歩をする。

男の子は、道の向こう側に何があるかを見つめて全てのエネルギーをそこに向ける。

女の子は、全てのエネルギーを周囲の花や空気、言葉や変化に分散させていく。

そこに心地よさを感じるのだと思います。




そんな違いでしょうか。


だとすれば、

少年漫画に触れてきたごんたろうは、

なかなか少女漫画の良さに気付かないはずです。



少女漫画を読んでいると、

女の子同士が笑いながら話をしているのを、

覗き見しているような、そんな気分になります。




少女漫画を読むのであれば、

アンテナを右と左と上と下に向けて、

心が揺れるさまをよく感じ取っていく必要があります。

読者は、

深刻な問題解決という方向で受け止めていません。

「深刻な背景を背負いながら明るく生きていく」という姿に共感するのです。

(女性はそれが当然のように出来るのです)








この物語においても、

社長レリックの横暴さとか、

生命倫理とか、

動物愛護団体の存在目的といったことは、

むしろ小さなこと、周辺のことがらであって、


最も重要なことは、

社長レリックが、

心の中に深い愛と深い傷とを持ち合わせていたということになるはずです。

妹フィオミアとの会話の中でその心の奥が、ほぐされていき、

フィオミアもまた、これまでとは違った世界観を手にする。

そんな人間模様こそが、重要なテーマなのです。


しかもその重厚なテーマを、重厚な意味として受け止めるのではなく、

温かさや軽さ、明るさの中で受け止めていく。

様々な要素や風景や変化を取り込みながら、

それを短編漫画という世界に凝縮して詰め込んでいく。

そんな面が、この作品の魅力だと思います。




ごんたろうのとらえ方が、

遠藤作品全体に共通するのか、この作品のみなのか。

また少女漫画全般に共通することなのか。

そのあたりは、よく分かりません。




今後も、少女漫画に入ってみたいと思います。








作品を紹介して下さったA様ありがとうございます。


(1994年作品。遠藤淑子『だからパパには敵わない』所収)

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Posted on 2014/06/04 Wed. 21:12 [edit]

category: 漫画

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