『いるのいないの』感想  

(作:京極夏彦、絵:町田尚子、編:東雅夫、岩崎書店、2012年)少年が祖母の家に泊まる。無数の猫がいる。静かで暗くて不気味だ。このような広くて空虚な空間には、何かがいるような気がしてくる。猫は夜行性であるから、私たちの視点とは異なる別の視点がそこに交差する。本書は猫の視点で描かれているのだろうか。少年はふと気付く。天井に誰かがいる! おじいさんだ! こちらをじっと見ている。ひょっとしたらそこに「いる」のかもしれないし、幻覚かもしれない。私たちが幽霊を怖がるのは、それが正体不明の不可解な存在だから。同じ立場で会話が出来ない非対称的存在だからである。恐怖の世界がうまく表現されている。
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 1人の小学生くらいの少年が、大きなカバンを抱えて田舎の大きな家へやってきました。  おばあさんのいえで くらすことになった  とても ふるい いえだ。  ぜんぶ きで できていて ゆかや いたと たたみだ。  てんじょうは たかくて  はしらは ふとくて すこし くらい。古い家です。二階はありません。おばあさんは一人暮らしでしょう。たくさんの猫を飼っています。薄暗くて、ひんやりしている。日本家屋のあの雰囲気です。天井がとても高い。梯子をかけても、おそらくは届きません。少年が天井の上の方を見上げると、小さな小窓があって、光が入ってくる。少年はとても気になってしまうのです。しばらく見てると・・・  まどのよこくらいに  おこった おとこの かおがあった。  すごく こわいかおだ。じっと したをみている。少年はおばあさんに言いました。  「あそこに てんじょうの はりのところに   だれかいるよ」おばあさんは、  「みたのかい。じゃあ いるんだね」と言いました。
 おばあさんは少年の方を向いて話してくれません。少年が「あれはだれ?」と問うと、おばあさんは「さあ しらないよ」少年は、こわくないのと問いかけた。おばあさんは「うえを みなければ こわくないよ」と言いました。洗面所も、とても暗い。おばあさんは、「なにもしないから、こわくないさ」「みなければ いないのと おんなじだ」と言います。少年は気になってしまいます。何かがいるはずなのです。ほら!いました!おじいさん?これが少年の気持ちが作り出した幻想なのか、あるいは本当に、おじいさんが天井裏に住んでいるのか、よく分かりません。おじいさんの表情が不気味です。
 絵は、下から上を見上げるように描かれていたり、時には高いところから下を見下ろすように描かれています。これは、少年の目線ではありません。飼われている猫の目線です。いや、猫ではない、何者かの目線かもしれません。「何者か」の目線で描かれています。猫は何匹出てくるのでしょう。とにかく、多くの猫たちです。家じゅうのあちこちにいます。しかし本文には、猫のことが一切、触れられていません。
 さて。幽霊とは、おそらくは、人間が想像で作り出した存在です。物体ではなく、意識の対象だと思います。なぜ、私たちは幽霊というものを想像するのでしょうか?広い空間の中に多くの人々がわいわい住んでいるならば、幽霊はいません。この絵に描かれているような、広い大きな家にもかかわらず、そこに小さなやせ細ったおばあさんだけがポツんと生活している。空間だけがある。このアンバランスさです。不自然なのです。暗がりだけがそこにある。そこに、私たちは「何か」があるはずだと思うのでしょう。いつもは父と母と、少年という形の家族なのです。しかし今回はおばあさんという、ちょっと疎遠な関係です。ぼくとおばあちゃんとの間には、大きな距離感があります。疎遠であるのに、一緒に生活している。このアンバランスさです。不自然なのです。もう1人、そこにいるはずだと思ってしまう。子猫がヨチヨチ歩いていたりするとかわいいのですが、多くの猫がいるという風景は、やはり怖い。猫は夜行性ですから、私たちが寝ている間に、どこかで集会をしている。猫の視線。視線はこちらをじーっとみているのですが、かといって楽しい話をするわけでもないし、何かを語りかけるわけでもない。食べ物が欲しい時はみゃーとなきますが、しかしそれ以外は、黙っていて、ごろんと横になり、じーっとこちらを見ている。
 夜の猫は、瞳がまんまるになって、ぎょろっとしていて、光を反射したりするので、ちょっとビックリです。勿論、私が気にしなければいいのです。しかし視線を感じながら、それでいて何もしてこないというのは、やはりアンバランスです。不自然なのです。もし、誰か、幽霊でも、妖怪でも、何でもいいのですが、誰かがそこにいるとしましょう。私たちは、何のために、何をしているのか?というふうに問いかけます。そこに存在するには理由があるはずなのです。しかし何もしない。何もしないのに、そこに居続けることが不気味です。ひょっとしたら、何か言いたいことがあるのかもしれない。ひょっとしたら、何か辛い気持ちがあって、それを伝えたいのかもしれない。あるいは、笑っているのかもしれない。怒っているのかもしれない。なにかが起こるのを待っているのかもしれない。しかし分からない。いるかもしれないし、いないかもしれない。あらゆるアンバランス、不自然さを、持つ存在。おそらくそれが幽霊だと思います。
 幽霊あるいは恐怖というのはとても大切だと思います。それは人間の認知能力の外側なのです。科学や常識や、実証的に確認できるものには、限界があるということを示してくれているのです。私たち人間は、傲慢になったり、論理的に処理したり、ありとあらゆる自然や社会の全てを操作しようとしたりします。まるで自分が神様にでもなったみたいに。幽霊は、私たちの認識の外側に存在し、私たちを「死」の方へ招いていきます。幽霊や恐怖というものがあるがゆえに、私たちは謙虚になり、想像力を働かせたりできるのです。幽霊が私たちを「死」の方へ引っ張っていくがゆえに、私たちは、自分自身の強い意識、生きる意志をしっかり持とうとするのです。・・・等と、かたい話をしてしまいましたが、幽霊や恐怖によって、ドキドキする、楽しい、ということで十分なのかもしれません。とにかく、この空気感、世界観を、子どもにも与えて欲しい。一緒にドキドキしてほしい。そんな名作絵本です。
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Posted on 2013/12/01 Sun. 23:35 [edit]

category:   2) 恐怖の世界へ

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

tb: 1   cm: 2

コメント

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お気軽にどうぞ。

URL | 藍色 #-
2014/09/05 15:16 | edit

ありがとうございます。

ブログ拝見させていただきました。いろんな作家さんについて取り上げてらっしゃいますね。トラックバックありがとうございました。使い方が下手で少しずつ勉強しているところです。今後も宜しくお願いします。

URL | いもむしごんたろう #-
2014/09/06 22:21 | edit

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粋な提案 | 2014/09/05 14:56

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