『わたし』感想  

(作:谷川俊太郎、絵:長新太、福音館書店、1981年)言葉は、絶対的存在としての自分を中心にしてではなく、他者との相対的な関係で形成されていく。わたし。あなた。大人になると呼称は増えてくる。父であり、夫であり、職員であり、客であり、住民である。名前は、彼の言動をも決定し、そこから逸脱すれば問題視される。「それでも父か?」と。たまには全て忘れて変身したくもなる。私たちは、ひとくくりにして呼ばれることもある。それは暴力的だ。大衆の中の一人になり、個性を失うこともある。一人ひとりが存在感を持つためにはどうすればよいか。橙と黄の長新太の絵は強烈な問題提起となる
 「わたし」全てのページで左側には女の子が描かれています。右のページに、様々な人物が登場します。「おとこのこからみると おんなのこ」「あかちゃんからみると おねえちゃん」「おにいちゃんからみると いもうと」親から見ると娘祖母から見ると孫立場によって呼び方が変わってきます。「さっちゃんからみると おともだち」「せんせいからみると せいと」あまりにも当たり前すぎて意識することはないのですが、小さな子どもにとっては不思議な話です。私たちは、様々な名前を持っていて、相手や立場によって名前が変わってきます。なぜならば、言葉は、自己中心的な観点ではなく、他者中心的な観点で作られるからです。欧米言語に比べれば、日本語は、とくに徹底しています。子どもが産まれると、「おとうさんはね」と言いますし、大学生が教育実習に行くと、「先生はね」と言います。「私」「僕」なんていう言葉は次第に使わなくなってきます。この絵本を眺めていて、途中から重大なことに気付きます。これらは、たんなる名前の問題ではありません。名前は、わたしたちの行動や態度まで規定していきます。
 友達であれば、友達らしい行為が必要です。生徒であれば、先生の指示には従わなければなりません。お姉ちゃんはお姉ちゃんらしく、妹は妹らしく、振る舞うことが求められます。その規定から外れると、女のくせに、子どものくせに、おねえちゃんなのに、という具合で不快に、驚きをもって受け止められます。言葉や名前は、私たちの社会生活にとっては極めて重要な位置にあるのです。さて、絵本に戻りましょう。「えかきさんからみると もでる」「おまわりさんからみると まいご?」「おもちゃやさんへいくと おきゃくさん」「えいがかんへいくと こども」このあたりになると、自分のアイデンティティとは無関係に、そう呼ばれる、相手は、こちらのことを勝手に決めつけてしまう、という暴力的な要素が見え隠れしてきます。モデルになりたくて、モデルであることを喜んで生活しているわけではありません。それなのに、ある人々はこちらのことをモデルのように眺めてしまいます。警察は私たちを、善良な市民か、犯罪者か、困惑者か、という枠でとらえようとします。お店に入ると、特に仲間でも何でもないのに、ニコニコして、嬉しそうに話しかけてきます。また、電車や映画館では、子ども料金などがあります。
 私たちは、枠にはめられてしまいます。前提や立場に縛られてしまい、息苦しさを感じることもあります。いろいろと思うと、面倒ですね。この絵本の最後の箇所です。「わたし」「しらないひとからみると だれ?」「ほこうしゃてんごく では おおぜいの ひとり」この次のページでは、わたしの影だけが描かれています。なぜ、最後のページで、女の子は影になってしまうのでしょうか?おそらく、自分が誰なのか、分からなくなってしまうということを表現しているのでしょう。現代社会においては、群衆、大衆です。その他大勢という扱い方をすることがあります。個性は失われ、「彼ら」の一部に組み込まれてしまいます。
 次第に、自分という存在が分からなくなってしまいます。ポストモダンの思想家であれば、自我なんてものは最初から幻想なのだ、というかもしれません。しかし私たちは自分という入れ物の中に入って、そこから世界を眺め、食事と排泄と睡眠を行い、感動したり、悲しんだりするのです。この入れ物が壊れやすい、あるいはもともと段ボールで出来ていた、なんてことが分かったとしても、それでもなお、私たちはこの入れ物で生活しなければならないのです。周囲の言葉によって、自分が誰なのかがはっきりしてくる。自分が誰なのか、周囲の人々によって認めてもらわなければ、分からなくなってしまう。承認がなければ、生きていくのは辛い。そんな哲学的なことを考えさせてくれる、名作絵本です。なお、橙色と黄色という色彩は、長新太の独特の世界観だと思います。
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Posted on 2013/06/29 Sat. 22:46 [edit]

category:   2) 最も私らしい私

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