『おまえうまそうだな』感想  

(作・絵:宮西達也、ポプラ社、2003年)どこに共感すればよいのか?本書の良さが理解できない。ティラノサウルスはこれまで何を食べてきた?かわいそうだから食べない?育てたわけでもないのに… 一方、アンキロサウルスはスキスキ言って追い求めるが、そこにはリアリティがない。大人が何もしていないのに子どもからよってくるとは思えない。本来は豊かな経験から感情が生まれるはずなのに、本書は強烈な感情が先行している。まるでPC恋愛ゲームだ。こういう風に求められたいという願望か。後半でティラノサウルスは一方的に別れを告げるが、途中放棄で無責任では?自己陶酔している。本書は豊かな情景描写が皆無。まるでスタジオ。

 ティラノサウルスがアンキロサウルスの赤ちゃんを食べようとします。「おまえ うまそうだな」と言います。ところが赤ちゃんは「うまそう」という名前で呼んだのだと勘違いしてしまいます。赤ちゃんはティラノサウルスを父親だと思い込んでしまい、父親に愛情と尊敬を向けていきます。ティラノサウルスはアンキロサウルスの赤ちゃんを育てようとしますが、最後には別れを告げます。別れた後、アンキロサウルスの赤ちゃんは、本当のお父さんお母さんに出会います。
 私たち人間は、動物を食べなくても生きていけます。野菜だけでもなんとか生きていけます。しかし生きていくのに動物を殺すということ自体は、自然なことであり、わたしたちの宿命でもあります。それを「かわいそうだ」などと言う理由で食べずにいるということはできません。勿論、何も考えずに「うまい」「うまい」と言って食べることもまた問題ですが… かわいそうであるにもかかわらず、食べてしまう。その際の、申し訳ないような、何ともいえないような心境こそが大切です。「命をいただきます」という祈りの気持ちはそこから来ます。
 そう思うと、主人公ティラノサウルスはその現実から逃げてしまっているように思えます。肉食恐竜ですから、栄養が足らずに死んでしまうかもしれません。ティラノサウルスはこれまで、うまそうな恐竜の赤ちゃんを食べてきたはずです。その過去はどうなったのでしょうか。彼は、自分の人生をどのように考えているのでしょうか? わたしたち人間は、「かわいそう」という理由で牛丼を食べないでいることはできないのです。
 アンキロサウルスの赤ちゃんが、卵からかえる。ふつう考えられるのは、赤ちゃんとは、最初は泣いて誕生します。最初は極めて不安定な状態であり、親から優しくされることで愛着を形成し、安定していきます。新生児は、私たちが予想する以上に母親の動きをよく見ています。あらゆる場合において最初に愛情を与えるのは親の側であり、赤ちゃんはその愛情を受け取る側なのです。親が笑顔と優しさを与えなければ子どもは何が幸せなのか分からないままです。しかしこの絵本では、赤ちゃんの側が満点の愛情を父親にぶつけていくのです。わたしは、この絵本に登場するアンキロサウルスの赤ちゃんに、人間らしさを見出せません。強いていえば、ペットのワンちゃんのような存在です。犬は、ご主人様が帰ってきたらしっぽを振って飛びついていく。人間の子は、なかなかそんなふうにはなりません。ちょっと大きくなれば反抗して言うことをきかなくなります。
 ティラノサウルスは、なぜアンキロサウルスの赤ちゃんの世話や教育をしようと思ったのでしょうか? なぜ、嘘をつくのでしょうか? なぜ赤ちゃんを守るのでしょうか? その理由として考えられるのが、赤ちゃんの「純粋な愛情」です。ティラノサウルスは、この赤ちゃんが、あまりにも素直で愛情に満ちているため、なんとなく自分も愛情で答えようとしてしまったのだ、というふうに解釈するのが妥当です。100%のまっすぐな純粋な愛情をストレートにぶつけられてしまい、なんとなくそれに応えたくなってしまった、ということでしょう。愛情とは何か?この絵本では愛情は、蛇口からドバドバ出てくるようなもの、として描かれています。
Aさん「スキスキスキスキスキー」
Bさん「おい、やめろよなー」
Aさん「スキスキスキスキスキスキスキー」
Bさん「わかったよ、わかったよ、遊んでやるよ」
 ここで私はふと、思うのです。これはティラノサウルスの願望ではないか、と。わたしたちは人間の子どもよりも、ペットの方を求める時があります。わたしたちは、意味もなく「好き」「好き」と言われたい。求めるよりも、求められたい。この絵本は、こんな子どもがいたらいいなあという大人の願望なのではないでしょうか。あるいはティラノサウルスは、こんなかわいい子どもを切望していたのではないでしょうか。
 ティラノサウルスは子どもの世話をしようとします。しかしこの姿はなんともぎこちないようです。体当たりの方法、しっぽの使い方、それらを教える姿は、親子の姿としては、リアリティを感じません。父親になったことがないから下手だということではありません。ここで描かれる姿はまるで教師のようなのです。明らかに上から目線による教授行為なのです。子どもは、自分で何でもやってみたい。「はやく、おとうさんみたいに、なりたいなー」等と現実の子どもはそんな言葉は使わない。父親が嫌いになり、父親と対決しながら子どもは大きくなるのです。父親を尊敬していたとしても、そんなストレートな表現をするわけではありません。そう思うと、本書の会話は、なんだかとてもぎこちない。
 さらに、ティラノサウルスは、教えることがなくなったという理由で「おわかれだ」と言ってしまいます。それはなぜでしょうか? わたしには、ティラノサウルスからお別れを告げる理由が分かりません。「アンキロサウルスの赤ちゃんが立派に成長したから」でしょうか?「このまま大きくなってしまったらパクッと食べてしまうから」か? よく分かりません。「アンキロサウルスのお父さん、お母さんのもとに行くことがベストだから」でしょうか?しかし、まだこの時点では、アンキロサウルスのお父さん、お母さんは登場していません。ティラノサウルスが一方的に別れを告げるのは、むしろ途中放棄で無責任ではないでしょうか。若干、自己陶酔しているようにも見えます。もっと分からないのは、彼が次のように言う点です。「おまえは、おれみたいになったらだめなんだ」これはどういう意味でしょうか?
 ここで思いつく理由は、ティラノサウルスが、本当はアンキロサウルスの赤ちゃんを食べようとしたのだけど、食べるチャンスを失ってしまい、ずるずると育ててしまったということです。ティラノサウルスは、本当はいっきにパクッと食べてしまうべきだったのにそれをしなかったから、大いなる苦悩をかかえてしまった。今、この瞬間においても目の前のアンキロサウスルをペロリと食べてしまいたいのです。本書から見いだせるのは、ティラノザウルスの、あまりにも優柔不断で自信がなく、自分の気持ちに負けてしまいながら、迷いながら、それでいてうまくやっていけないようなそんな姿です。そして「かわいそうな自分」を演じては自分で涙を流す。
 ティラノサウルスは、いわば私たちのダメな部分を取り上げて強烈に描いているように思えます。毎日のように肉を食べているのに、ふと動物の赤ちゃんを見ると「かわいい」とはしゃぐ。本当は自分が好きであるのに、向こうから好きだと言って寄ってきてもらおうと願う。人から教えられると腹を立てるくせに自分自身は年下の子に向けて大威張りで指示を出す。そんなダメ人間っぷりを表現しているように思われます。
 最後に、アンキロサウルスの赤ちゃんが本当の父母に再会します。言葉は無くなります。アンキロサウルスの赤ちゃんは、ここで出会った自分自身と同じ形をした動物を自分の父母と認識できるのでしょうか。父母の方は、やっと見つけた我が子であると歓喜するかもしれませんが、長い間ティラノサウルスとともに生きてきた彼にすれば、むしろ他人に見えるはずです。いや、この子は、あまり深いことは考えずに、ケロッとして遊ぶことになるかもしれません。ティラノサウルスは、アンキロサウルスの父母に会って話をしようともしません。落ち込んでいるくせにキザに振る舞ってしまう。本書は、自分の心の中だけで葛藤し、苦しみ、悩み続けながら決して解決するわけではない、そんな姿を描いているように思えます。
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Posted on 2011/11/06 Sun. 00:03 [edit]

category:   4) 父親の存在

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

コメント

好きというわけではないのですが。

映画にはただツッコミどころというか、そうなの?ってところがあったので言ったのです。

それで上述の話は、聞いた知っただけですのであしからず。

URL | ワーク #79D/WHSg
2013/05/22 00:01 | edit

映画はまだ見ておりませんでした。

ワークさん。コメントありがとうございます。ワークさんがこの映画を心から好きで、映画のことに真剣に考えてらっしゃることがよく伝わってきました。これをご覧の方で、映画を見られた方は、「なるほど」「そうそう」などと感想を持たれると思います。制作過程まで知ると映画の感動も大きくなると思います。
ごんたろうは映画はまだ見ておりませんでしたので。反省です。絵本は細かい部分まで読み込んだのですが。映画を見てから、絵本との違いについて考えたいと思います。

URL | ごんたろう #79D/WHSg
2013/05/21 21:23 | edit

映画版は。その3

心温まるストーリー面にしても、どこまでがスタッフの発案なのかわかりませんでした。

2011年8月号のアニメージュで挙がってた要素である
「絵本の何冊かをまとめなければならなかった」「とにかく泣ける映画という要望を頂いた」「映画の世界観の作り方」「嘘の関係バレた後に付き合っていくかどうか」「主人公ハートが特訓してライバルと対決する」「主人公ハートのキャラ付け」「お母さんがまた子供を産むという女」「お母さんのキャスティングの質問回答」「主人公ハートの生き方を追いかけて、最終的に少しグッとくるような形に。それで考えるより動くキャラにした」「映画後半の方のアクションの指示」だけを見たら、別に「心温まる」とは違う物でも、他の路線でも、他のジャンルでも使えそうな気します。

それゆえに、この映画の心温まるって所もどこまでがスタッフの発案なのかわからない、という事です。心温まるってのも本当にスタッフの発案なのか、最初にあった話を受け入れた上でやった結果なのか、どちらかなのかはわかりません。

ウマソウ絡みの事もわからずじまいでしたが

URL | ワーク #79D/WHSg
2013/05/21 11:18 | edit

映画版は。その2

映画版は絵本の何冊かをまとめただけでなく、1本の話に繋げて主人公も同じティラノサウルスです。絵本の何冊かをまとめなければならなかったようです。
ただし、絵本に出てくるキャラは他にもキャラがいたのですが、インタビューで触れてたのはお母さん達とかくらいで義理息子のウマソウや友達の首長竜については触れてないのでわかりませんでした。
スタッフは色々口出ししたと言っていますけど果たしてどこからどこまで口出ししたのかもわかりません。分かってるのは、箇条書きすると以下の所だったようです。
メインどころとあまり関係のない部分もありますが。

・「映画の世界観の作り方」
自然描写についての発言でした。

・「嘘の関係バレた後に付き合っていくかどうか」
考えようによっては幾らか案が浮かんでもおかしくなさそうなのですが、最終的にああいう感じ(実際の映画の通り)になった経緯はわかりませんでした。
もっとも、この辺もウマソウについては直接触れてなかったのでわかりませんでした。ここでも触れてたのは「劇場版ではハートはお母さん達と~」だったので、ハートを育てた家族の事だともとれます。

・「主人公ハートのキャラ付け」は、草食恐竜のお母さんに育てられた為、価値観の変なヤツ」
こちらは作り手自らがそういうキャラにしたともしっかり言ってるのでお母さんとはまた事情が違うかもしれません。強さにこだわって体を鍛えたりするシーンを入れたくてああいうキャラしたようです。

・「お母さんがまた子供を産むような奴」
ハートがお母さんと再会した時に、またお母さんが子供を産んでたという事実の事です。ちゃっかりまた子供を産むという性ですので、実は神聖さはないという意味でも語ってました。この言い方では、少なくともお母さんの実は神聖なものではない普通の女ってのはスタッフの発案っぽいかと。(草食いとして肉食育てる行動についての発案者はわかりませんが)

・「主人公ハートの生き方を追いかけて、最終的に少しグッとくるような形に。それで考えるより動くキャラにした」あくまでハート自身の行動かもしれませんね(ウマソウとの絡みについてはわかりませんが)。

・「お母さんのキャスティングの質問回答」
キャスティングの質問回答だけでなく、お母さん自身の言動についても触れていましたので。キャスティングはイメージはしてなかったようです。
そして、お母さんへの言動への発言では「肉食だとわかっていながら平気で育てちゃう」と言い方もしてたので、本人も多少なりとも呆れを感じてるのかと思いました。 浮世離れってのは良い意味で使われるとは限りませんので。浮世離れという言い方、お母さんの行動、本職声優じゃない芸能人キャスティングなので呆れも含まれてるのかもしれません。

・「映画後半の方のアクションの指示」
twitterもやってる原画スタッフも関わった所です。
この原画スタッフは「感動を全面に出してますが~」「個人的には○○監督の趣味の分野も混在してるので~」って言ってた人です。

・美術関係
ここはUPL先のインタビュー画像に載ってないのですが、2011年7月号のアニメージュにはストーリー構成やキャラ以外にも美術についても関わった事も触れています。美術スタッフはカラフルや河童のクゥの人のようです。2011年8月号のアニメージュは中古であったら買って見ても良いです。

あと制作者は作ってる際に楽しんで作ったとも言ってましたが、ここは部分部分を指してましたね。たまたま長い期間をもらって楽しんだ所もあったり、思い入れはあると思いますが、苦労した所もあるのではと思いました。

URL | ワーク #79D/WHSg
2013/05/21 11:15 | edit

映画版は。その1

原作者の意向もあって絵本とは違うものになっています。
http://mi-te.jp/contents/cafe/1-9-742/" target=_blank>http://mi-te.jp/contents/cafe/1-9-742/

ただし、これでも分からない事もあります。長くなりますけど色々言いたいと思います。制作側の裏話も混じるのでどうでも良い事かもしれませんが、現在判明してるところでわかってるところや推測を言います。
現在判明してるのは上の原作者のインタビューと映画の原画スタッフのツイッター発言と2011年8月号アニメージュのインタビューです。URL先のインタビュー画像には2011年8月号アニメージュのインタビューの一部が載っています。

・映画版の絵柄
絵柄も違うのですが、これも発案者は誰だか不明です。
推測ですが、上の人の誰かから監督やキャラデザイナーに人に「こんな感じの絵柄でお願いします」と頼んだのかもしれません。キャラデザイナーは柳田義明氏ですが、監督は共同ですが昔ポケモン映画の作画をやった事があります。なので、監督に対しても、単に「ポケモンみたいな絵柄にしてくれ」と頼んだ可能性もあります。寧ろ、そういう風な感じの映画にして欲しくてこの映画に監督を起用したのかもしれませんし。作者の宮西達也さんが「原作絵本と違う物にしてください」と頼まれたのもあると思いますが。
監督はデザイン面で「丸っこいキャラだけど~」「マイアサウラのお母さんのお母さんの色っぽさは想定外」「柳田義明さんの力」と言っていますがこれだけでは監督の発案かどうか判断する事は出来ません。

・映画版でコンセプト
とにかく泣ける映画を作って欲しいと頼んだのはプロデュースサイドだと判明しました。それ以外にも原作者からも、絵本とは違うものをとも頼まれています。
なので、絵本とはまた違うとにかく泣ける映画を作るという事だと考えられます。このテの映画で泣ける部分と言いますとやはりお涙頂戴の親子劇がそうだと思います。

URL | ワーク #79D/WHSg
2013/05/21 10:55 | edit

コメントありがとうございます

絵本の続編や映画は、まだ見ておりませんが、近いうちに見てみたいと思います。頑張ってブログ続けます。

URL | ごんたろう #79D/WHSg
2012/06/24 00:44 | edit

人間性

絵本はその人の人間性が大きくでると思います。

URL | さら #79D/WHSg
2012/06/21 16:29 | edit

劇場アニメ版

疑問に感じていらっしゃる事柄のいくつかが、この絵本の劇場アニメ版で見事に解決されているので、とてもお勧めですよ。

URL | nop #79D/WHSg
2011/11/06 11:19 | edit

おまえうまそうだなの映画版は

却って疑問というか可笑しさも強調されてるのは
手放しにおすすめできません。

URL | レゴン #Nwu9xzi.
2014/05/25 06:11 | edit

コメントありがとうございます。

今後も宜しくお願いします。ブログ頑張って続けます。

URL | ごんたろう #-
2014/06/04 21:17 | edit

絵本は理論的に考えてはダメ。
このシリーズは『感動』を重視した絵本だろ?

URL | 光次 #-
2014/07/01 17:44 | edit

コメントありがとうございます

光次さまのおっしゃることは、おそらく「素直に感動すればよいのに、それをせずに理論的に解釈している」ということだと思います。
ごんたろうは、この絵本を見て感動できませんでした。ですが「つまらない」「感動できない」とだけ言うのは作者にもファンにも失礼です。なぜ感動できなかったのかを説明しなければならないと思いました。そういう主旨の本文です。コメントありがとうございました。今後も宜しくお願いします。

URL | ごんたろう #-
2014/07/09 05:37 | edit

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