『しろいうさぎとくろいうさぎ』感想  

(文・絵:ガース・ウィリアムズ、訳:松岡享子、福音館書店、1965年)恋愛と恋愛結婚を賛美する絵本。当事者の気持ちはこんなものかもしれないが、人生観、人間関係、風景、世界観、葛藤や迷いなど恋愛以外の要素が一切描かれていない。好きになった理由、人物の魅力すら描かれていない。ストレートすぎて婉曲表現もない。ここでの祈りとは未来の変化を禁止するものだ。迷いも不安も否定され、スキという感情だけを強調する。恋愛結婚の徹底的な美化で、読んでいて息苦しい。むしろ怖い。恋愛を夢見る読者は癒されるかもしれないが、作品としての深みや感動はない。逆にみんな恋愛に飢えているのかも。
 この作品は、とても人気があるようですが、理解に苦しみます。推薦図書や選定図書に選ばれているのが不思議です。以下は、ごんたろうの批判になります。「しろいうさぎと くろいうさぎ、二ひきの ちいさなうさぎが、ひろい もりのなかに、 すんでいました。」二匹は飛び跳ねて遊んでいます。「しばらくすると、くろいうさぎは すわりこみました。 そして、とても かなしそうな かおをしました。」「どうしたの?」「しろいうさぎが ききました。」二匹はかくれんぼ、どんぐりさがしをしました。しばらくすると再び、くろいうさぎは悲しそうな顔をします。かけっこをして、水を飲み、しばらくすると再び、くろいうさぎは悲しそうな顔をします。何度もこのようなことを繰り返します。「さっきから、なにを そんなに かんがえているの?」しろいうさぎが尋ねます。「ぼく、ねがいごとを しているんだよ」「いつも いつも、いつまでも、きみといっしょに いられますようにってさ」しろいうさぎはそれを聞いてこういいます。「ねえ、そのこと、もっと いっしょうけんめい ねがってごらんなさいよ」するとくろいうさぎは、目をまるくして、考え、心を込めていいました。「これからさき、いつも、きみといっしょに いられますように!」二ひきは、たんぽぽのはなをつんでみみにさしました。他の小さなうさぎがやってきて、結婚式のダンスを踊りました。「こうして、二ひきの ちいさなうさぎは けっこんしました。」「それからというもの、くろいうさぎは、もう けっして かなしそうなかおは しませんでしたって。」
 さて。この絵本は、なぜ好きになったのかという部分を曖昧にしています。確かに多くの場合、恋愛は、突然、やってくる。理由や根拠を明確には出来ないような側面がある。しかしながら、「やさしい」とか「美しい」とか「話があう」とか何でもいいから、必要です。物語は、必然性が必要なのです。なんらかの理由があって、好意が生まれるのです。そこを曖昧にしてしまうと、物語の世界に飛び込んでいけません。この絵本は、理由も分からないのに、好きで好きでしょうがない。そういう描き方をしています。スキスキスキスキスキ!そんな雰囲気です。なぜ、そんなに100%密度の濃い話にしようとするのでしょうか?この絵本には、恋愛だけがクローズアップされていて、それ以外の複雑な人間関係や、人生のあり方、そして美しい風景や変化、恥じらいとか、遠慮とか、じっくりした時間の変化、事件や、生活、それらが、ここにはありません。とにかく、ともかく!好きになってしまったんです!一緒に楽しく遊んでいる。と言われているような気がします。あらゆる文脈を無視してしまうような、強烈なエネルギーを感じます。森の中というならば、音や匂い、季節や朝夕の変化などが、もっと豊かに表現されてもよいと思います。しかしこの絵本では、「森の中です」という説明のみ。恋愛というのは、もっと、さりげないものです。目の前の人が好きで好きでしょうがない。その場合には目の前の相手の顔など、直視できないものです。かつて夏目漱石は「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したらしい。まさに、風景や時間をどのように描くか、どのように表現するかの中に、恋愛の気持ちを含めることが「美しさ」「表現技術」「味わい」なのです。人間関係のあらゆる事象から、恋愛の、しかも告白という箇所だけを切り離して、それにテキトーなキャラクターを配置している。そこには深い味わいは見出せません。おそらく、結婚直前の幸せ絶頂の人は、自分の感情をそのまま重ねることが出来るかもしれません。しかしそれ以外の人々は、「そんなもんなのかなー」といった印象しかもたないと思う。
 味もそっけもなく、美しさや深みもなく、ひたすらスキスキ言っているような、「結婚ってこういうもんだよ」と言っているような、そんな絵本です。『つるにょうぼう』の美しい絵本と比べてみて欲しいと思います。さて、いま一つ重要な論点があります。なぜ、くろいうさぎは、悲しそうな顔をして、考え込んでしまうのでしょうか?好きで好きでたまらないのであれば、不安にはならないのではないか。
 くろいうさぎは、なぜあのような暗い表情?をするのでしょうか?くろうさぎの不安、悲しみはどこからくるのか?おそらくは、「未来への不安」です。くろいうさぎは、今の幸せな関係が、今後将来にわたっても続くかどうか心配なのです。(しろいうさぎが浮気をするとでも思っているのでしょうか?)くろうさぎは、現在の気持ちが、今後将来にわたっても続くかどうかが心配なのかもしれません。(自分が浮気すると予想しているのでしょうか?)勿論、くろいうさぎは、今現在は、全てが好き好き好き好きといった感情です。別の女性に目が向かう等、一切考えていないはずです。しかし未来が怖いのです。いつの日か、この関係が終わるかもしれないということが怖いのです。で。その不安を克服するために、目をひらいて、しっかり祈るということをするのです。結婚の儀式です。結婚の儀式は、自分の精神、相手の精神、自分たちの将来を拘束します。またそれを周囲に認めてもらうための儀式でもあります。ごんたろうは思うのです。未来は、現在よりも素晴らしいものだと思うのです。勿論、悪くなることもあります。浮気や不倫、離婚や暴力などの様々な問題に直面するかもしれません。しかしそれら課題に向き合い、克服し、なんとか明るい人間関係を作っていくのは、自分自身です。その場その場で、なんとか幸せを作っていこうとする不断の努力です。そしてその意味で、未来は明るいのです。
 結婚というシステムは、一時期の感情だけを永遠に固定化しておこうとするのです。これは、未来の感情の変化を否定するのです。あるいは祈るということで、心の変化が起こらないように「期待する」のです。しかし、本当は、結婚した後に、気持ちがふわふわしたり、変化したり、迷ったり、揺らいだりするものです。この絵本は、あまりにも結婚を美化しているのではないでしょうか。感情というのは、膨らんだり、しぼんだり、冷たくなったり、熱くなったりします。その一部だけが「永遠に続く」「永遠に続くように祈る」というのは、それは、なんか、息苦しいように思えます。ある人はこう言うかもしれません。「ごんたろうさん、いいじゃないですか。結婚した時くらいは、そういう思いに浸らせてあげましょう」そうですね。確かに、広い心で受け入れてあげてもいいかもしれません。ごんたろうが強調したいのは、結婚に対する「過度の期待」が見いだせるということです。この絵本は、結婚という制度あるいはその儀式を、徹底的に美化しているようです。このような結婚観が強烈であればあるほど、どうなるでしょうか?結婚とは一瞬の最高のときめきが永遠に保障されるものだというイメージが強烈になればなるほど、人々は、結婚に慎重になり、結婚から遠ざかってしまう。
 理想を追求し、最高の幸せが到来するのだと夢を見てしまい、結局は、現実に背を向けてしまう。結婚を、真剣に考えるのはいいことなのですが、真剣な相手選びをすると、窮屈な気がします。最初は「む?」「好みのタイプじゃないな」と思ったとしても、少し話をしてみれば、いいところは見つかると思うのです。また、結婚した後であっても、結婚した相手以外にも、素敵な人はたくさんいます。心がふらっと揺らいだとしても、それほど深刻に怒る必要はありません。ここで描かれている「祈り」とは、西洋的な文化に根差したものであって、日本的な文化とは、若干距離があるのではないか。あるいは、ごんたろうの考えが、おかしいのでしょうか?
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Posted on 2013/06/07 Fri. 23:05 [edit]

category:   4) 結婚

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