「原発反対デモは効果的か」考  


最近の原発反対デモは、安保闘争の時のような重いものではないらしい。

若い女性が小さな赤ちゃんなんかを連れて参加しているというのです。

若者、学生も多いようです。

「政府は僕たちの意見を聞いてくれない、直接声を届けよう!」

「こんな雰囲気だったら、仕事の帰りにちょっとだけ参加ということもできます」

そんな甘ったるい言葉(失礼!)で、デモに参加しているのです。






そんなデモに、私は反対。


理由1)

デモによって政治が動くというのは、理想です。

前提としてはそれでいいのですが、

実際はそんなふうになっていません。

政府は、国民の利益というよりは、企業や支持者の意見を代弁しています。

政治家はそれを国民の意見だと思っています。

そんな状況ですから、デモをすると政治家はこう思う。

「世の中には、こういう意見を持った人たちも一部にはいる」

こちらが何を言っても伝わらないのです。

安保闘争の時も、世論の殆どが反対だと主張したのに、

「声なき声」があると当時の首相は述べました。

デモ参加者は、
「こんなに多くの声が集まっている!」「これが世論だ!」
と言いたいのかもしれませんが、

政治家たちは、「あれは一部である」というふうにとらえるのです。

現在の民主主義とは多数決であり、利害関係の調整のことを指しています。

デモの意見を聞くことも民主主義ですが、

デモの意見に左右されずに関係者の利害を守ることもまた民主主義なのです。

野田首相が「会って話を聞いてみよう」というと、

他の政治家が「それはまずい」と思うのです。

デモで主張して政治が動くのであれば、

直接民主主義になってしまうのです。


あくまで主張は、政治家に言わせるべきです。

こちらも代表を立てるべきなのです。







理由2)

このまま規模が大きくなれば暴動になるかもしれません。

暴動で政治を動かすということは殆どありません。

暴動は鎮圧されるだけです。

安保闘争、プラハの春、天安門事件を見ると分かります。

暴動でないならば、たんなる集会です。

たんなる集会は、たんなる集会で終わります。

それ以上ではありません。


そもそもエネルギー政策にしても安全保障問題にしても、

国民の総意に基づくとはなっておらず、
一部のエリートが独自の判断で行っているのです。

そういうものなのです。

意見があれば、こっそり、後ろから声をかけるべきなのです。

それを
面と向かって「はんたーい!」と言ってしまえば、

それを受け入れるということはますます出来にくくなります。

「組織が自分の意見を修正する」ということは、殆どの場合、出来ないのです。


集会や暴動は、

エリートたちにはこう映ります。

「もうちょっとガス抜きをさせよう」





理由3)

大切なことは、理性的な議論です。

なぜそうなるかを理論的に説得していくというプロセスが必要です。

国会議事堂ではなく、国会議員の事務所へ行くべきです。



デモや暴動は、論理ではなく感情なのです。

たくさんの人が声を一つにするということは、

すなわちその主張が単純だということです。

「原発問題で言いたいことがある」のか、

「政府の姿勢を問題視しているのか」分からなくなります。


デモ参加者は、巨大な化け物に立ち向かう小さなヒーローを演じているようです。



その方向ではありません。

感情ではなく理性で議論するべきです。

ツィッターのような形では議論にも何にもなりません。

「心配だー」「不安だー」「政治家嫌いだー」と言っているように聞こえるのです。

それが建設的な議論になるとは思えません。

マスコミを動かし、あるいは自分たちのマスコミを作り、

建設的な議論をしましょう。

思いつくこと、出来ることをやるという庶民感覚ではなく、

必要なことを模索し、専門家と議論し、決定的で有効打を探すべきです。





理由4)


問題は政治家ではなく、圧力団体、利害団体です。

本体は、
見えないところにいるのです。

誰が原発を推進しているのか?

それを突き止めるべきです。

原発反対する人たちが、賛成する人たちを捜し出し、

彼らを説得するべきなのです。

政治家は団体によって動かされている、

政治家にとって利益団体は、最も大切なお客様であり、最も大切な国民なのです。

国民と国民とが衝突し、議論するべきであって、

国民が政治家と衝突するべきではありません。


対決してはダメです。

利害団体が「あ、それはいいねえ」と思えるようなプランを出す。

政治家が「その意見だったら、みんな納得するね」と思えるようなプランを出す。

お前たちはみんなクビだ!というような気迫で主張すれば、

死に物狂いで抵抗するのです。

現在、原発で利益を得ている人たちを、保護するようなプランを立てましょう。


「子どもたちの未来のために危険なものは全て削除せよ!」

というような単純で感情的な主張では、エリートたちは決してうんと言わない。


全ての人々が幸せになるような、

全ての人々が納得するようなプランは何か?

それをじっくり考えましょう。





理由5)


「ちょっとしたことで何か変わるかも、って思いました。」

そんな子どものような発想で、政治を動かそうというのがダメなのです。

最初は「時間がないから小さな努力」ということだったと思うのですが、

デモが拡大するにつれて、小さな努力が大切だというふうに変わってしまいます。

いくら規模が大きくなっても、しょせんは小さな声の集合なのです。

ちょっとした努力は、最後の最後までちょっとした努力に終わります。

終わった後で、ぐたーっと倦怠感が襲います。

その後にやってくるのは虚無感です。




私は可能性がゼロだと主張しているのではありません。

ニヒリスティックに全てを諦めよと言っているのではありません。

可能性はその先にはない、別の方向だ、と言いたいのです。

専門家の意見を聞いて、プランを立てて、

権力者を動かしていく、そんな建設的で継続的な動きが必要です。

ちょっと集まって、「だよねー」「だよねー」等と声をかけても、

それはただの「不満の吐き出し」でしかありません。

自分の感情を吐き出すことが目的になってはダメです。



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Posted on 2012/08/12 Sun. 14:07 [edit]

category: 社会・教育

thread: 政治 - janre: 政治・経済

tb: 0   cm: 2

コメント

コメントありがとうございます。

美少年酒造さま。ごんたろうは連合赤軍についてはあまり分かりませんが、参考になります。ごんたろうの持論に共感していただいて光栄です。今後も独りよがりのごんたろうに温かなコメントをお願いします。

URL | ごんたろう #79D/WHSg
2013/05/21 21:12 | edit

おっしゃる通り

完全に同意です。

彼ら反原発がやっている運動は、所詮安保闘争

の焼き直しであり、タコ壺的論理がすでに目立

ち始めています。

確たる論拠なき誹謗中傷を繰り広げ、至極粗末

な理屈で、あらゆる人々を敵味方の二分法で分

けて、自軍の矛盾に目をつむり、一方にのみ罵

詈雑言を浴びせる方法論は

かつての連合赤軍が陥った泥沼を想起させます

URL | 美少年酒造 #79D/WHSg
2013/05/20 10:21 | edit

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