『友だちのほしかった大おとこの話』『友だちのほしかったネズミの話』感想  

(作・絵:アンネゲルト・フックスフーバー、訳:たかはしようこ、偕成社、1986年)バルトロは巨人。見かけは強そうだが、気が小さい。それゆえ友達がいなくて孤独だ。勇敢なネズミがいた。見かけは弱そうだが、気が強い。それゆえ友達がいなくて孤独だ。本書は、二人の物語が中央で出会う。はたして二人は友達になれるであろうか。どんな会話になるであろうか。読者はその先を自由に想像してよい。二人は正反対のように見えるが、ギャップがあるという点では共通する。コンプレックスを抱えるという点では全ての人間に共通するであろう。友達とは何か。自分の弱さを補完し合うものか。あるいは新しい変化や可能性を切り拓くものか。


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Posted on 2011/10/25 Tue. 21:38 [edit]

category:   1) 出会い 友達の予感

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『キツネ』感想  

(作:マーガレット・ワイルド、絵:ロン・ブルックス、訳:寺岡襄、BL出版、2001年)わたしたちの人生って、こんな感じなのだと思う。みんな不器用だ。素直に僕は寂しい、あなたと友達になりたいとは言わずに、お前にもおれの苦しみを味わえと要求する。しかしながら私たちは、ドロドロした関係の中にあって、希望や喜びを探して歩く存在だ。ラストは、それを示している。鉛を飲み込んだような重みがあるが、かすかに光がさしている。

Posted on 2011/12/01 Thu. 21:31 [edit]

category:   4) 喧嘩と葛藤

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

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『けんかのきもち』感想  

(作:柴田愛子、絵:伊藤秀男、ポプラ社、2001年)今の大人はなぜ急いでケンカを止めるのだろう。怒りの気持ちはそこに存在する。我慢する方がかえって危険だ。ケンカの後は、なかなおり。明日も遊べるための仲直りであって、どっちが悪いかの判定ではない。負けた悔しさ。みんなはもう次の気持ちに切り換えてしまっているという不条理。あらゆる感情が溢れる。思い切って泣こう!大切なことはケンカそのものではなく、ケンカの後にケンカの意味を理解することだ。殴っても暴れても事態はさして変わらない。ただ、男なら、自分より強い相手に勝負を挑むことの美しさは知っておいてもよい。
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Posted on 2011/12/29 Thu. 16:35 [edit]

category:   4) 喧嘩と葛藤

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『コッコさんのともだち』感想  

(作・絵:片山健、福音館書店、1991年)自分と似た相手を探して近づこうとするのは、おそらく自分の気持ちを共感してくれると思うから。同じ気持ちで同じ遊びが出来れば楽だ。一人は何かと心細い。しかしその相手とケンカになることもある。「同じであって欲しい」という思いがあるため、その違いは怒りに変わる。ケンカをした後、コッコさんたちは再び一人に戻るわけではなかった。友達と一緒に遊ぶ楽しさを理解してしまったのだ。最後はみんなで一緒に遊ぶ。それは二人の同類的な遊びと違う。多くの異なる相手と同じ世界を共有するという遊びだ。何気ない光景に子どもの成長が光る。

Posted on 2012/01/14 Sat. 22:05 [edit]

category:   1) 出会い 友達の予感

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

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『とこちゃんのながぐつ』感想  

(作・絵:かとうまふみ、学研、2007年)とこちゃんの家の靴箱。5足の靴がある。晴れの日にはスニーカーを履いて公園のブランコで遊ぶ。デパートでお出かけの時には赤い靴。靴箱に戻ると自慢話だ。長靴は出番がなく、悲しい気持ちになる。雨が降ればいいのにと思う。嫉妬だ。しばらくすると雨が降る。毎日が長靴の日になり、立場が逆転する。長靴が自慢話をして「仕返し」をするか、あるいは皆の気持ちをくみ取るかは、重要な分かれ目である。本書ではより良い関係の構築に向けて一歩踏み出す。その気持ちはとても大切だ。立場が入れ替わるということを踏まえれば、人間関係は豊かになる。
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Posted on 2012/09/22 Sat. 21:42 [edit]

category:   4) 喧嘩と葛藤

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『おんなじ おんなじ』感想  

(作・絵:多田 ヒロシ、こぐま社、1968年)豚のぷうと兎のぴょんはそっくり。背丈、服装、表情、靴など。よく見ると微妙に違う。読者はいくつ発見できるだろうか。持っている玩具も同じ、帽子の中の蛙も同じ。ポケットの中から出したものは… 違っていた。等しいという概念は先験的に成立する。自分と瓜二つの相手を見つけると、なぜか嬉しくなる。私たちは、同じ感性や問題意識を持つ相手と、共に悩んだり考えたりしたいのだ。一方、中身は異なっているのに、服装だけが同じだったりすると困惑する。本書は類似した二人が近寄っていき、いくつかの差異を発見し、友達になっていく姿を描く。
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Posted on 2013/03/13 Wed. 01:01 [edit]

category:   1) 出会い 友達の予感

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『ろくべえ まってろよ』感想  

(作:灰谷健次郎、絵:長新太、文研出版、1978年)穴に落ちた子犬のろくべえを子どもたちが救出する。ここに登場する大人はテキトー。だからこそ子どもたちが本気になれる。大人が本気になれば子どもの出番がなくなる。また大人は子どもが夜に外出してても気にしない。ここには子どもだけの空間がある。友達とは、相互理解ではなく、課題や目標を共有することだ。友達が出来にくいのは、このような空間がないからだろう。子どもたちの真剣さには温度差があって個性が出ている。絵を縦に描くことで、深さや視線の違いを表現できている。全体的には暗い色彩だが、それが最後の明るさを引き立てている。
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Posted on 2013/03/14 Thu. 23:17 [edit]

category:   3) 遊びの場

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

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『ともだち』感想  

(作:谷川俊太郎、絵:和田誠、玉川大学出版部、2002年)ともだちとは何か。その定義は難しいが、本書のように様々な場面を挙げていけば、なんとなくその意味は浮かび上がる。子どもの頃はこんなともだちがいっぱいいたが、今の自分にはこんなともだちがいるか。途中からともだちの意味が広がっていくが、そのような使い方を「誤用」とするか「応用」とするかは人によって意見は分かれると思う。

Posted on 2013/04/11 Thu. 00:15 [edit]

category:   5) 友達の定義・範囲

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

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『うずらちゃんのかくれんぼ』感想  

(作:きもと ももこ、福音館書店1994年)ひよこちゃんとうずらちゃんとのかくれんぼの話。ここでのかくれんぼは、本当にどこかに隠れてしまうのではない。自分の身体が周辺の風景と同化することだ。変身の楽しさ。擬態。それゆえよく見れば発見できる。本書は読者が二人をさがすかくれんぼも含む。美しい花に囲まれた子どもの世界。親子の距離はとてもよい。本書は、親が迷子になりかけた二人を探し当てるかくれんぼも含んでいる。かくれんぼが楽しいのは、迷子と発見、消失と出現を再構成することで自分自身の意味付与を実感しているのからだ。自分たちでルールを共有することも楽しい。
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Posted on 2013/09/14 Sat. 00:02 [edit]

category:   3) 遊びの場

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『ないたあかおに』感想  

(作:浜田廣介、絵:池田龍雄、偕成社、1965年)嫌悪感でいっぱいになる。優しくて親切という設定であるから、これはもはや鬼ではない。本書のこの設定が好きになれない。赤鬼は村人と仲良くなろうと思っているのに、看板を立てる以上の努力をしていない。地道な努力をするべきだ。青鬼が悪役退治の物語を用意する。そんな陰謀で村人と仲良くなれるという思い込みも怖い。このアドバイスは道徳的ではない。それにのっかる赤鬼も非道だ。青鬼は悪役を引き受けるが、友情というよりはむしろ楽しんで暴れているようだ。その後、青鬼が旅に出るのも間違い。最後、赤鬼はなぜ泣く?全てを反省している?
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Posted on 2014/12/28 Sun. 00:07 [edit]

category:   5) 友達の定義・範囲

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