『やまださんちの てんきよほう』感想  

(作:長谷川義史、絵本館、2005年)たいふう、はるさめ、にわかあめ、あられ、みぞれ等の天気予報に沿って山田家の日常風景が描かれる。予報という形態をとっているが、予報の通りになりましたという意味か。遊び心満点で作られていて読み手も楽しくなる。二人が怒られて涙を流しているシーンに雨ではなく、虹という言葉をあてている。しかも2時とかけているあたりはとてもよい。遠くを見るのは人間の優しさだと思う。人間の生活や感情はまるで天気。過ぎ去ってしまえばどうでもいいこと。そんなふうに生きていければ幸せだ。特に怒りの感情はさっさと忘れたい。明日は、必ず晴れる!
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Posted on 2013/04/17 Wed. 23:08 [edit]

category:   7) 家族という空間

thread: 絵本 - janre: 本・雑誌

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『おでかけのまえに』感想  

(作:筒井頼子、絵:林明子、福音館書店、1981年)イベントそのものよりもイベントを待っている時間の方がむしろ幸福だ。本書はドキドキしている子どもの表情やしぐさをとてもよく描いている。姿勢や動きも、まるで映像から起こしたかのようにリアルだ。あやこにとって嬉しいものは大きく、困ったものは小さく描かれる。急いであれこれハプニングを起こしてしまうあやこに対し、親たちがとても温かい。間違いや失敗を、大きな幸せが包み込む。子どもはこのような体験を繰り返すことで明るい未来を信じる力を得るだろう。大人は自分の理想を押し付けず、テキトーに笑っているくらいがちょうどよい。
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Posted on 2014/02/21 Fri. 21:39 [edit]

category:   7) 家族という空間

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『そんなことって、ある?』感想  

(作:奥田継夫、絵:西村繁男、サンリード、1981年)春の訪れ。家族でりんごを食べている時にふと思いつく。みんなで走ろう!5人と犬とで走り出す。少年は自分の一位を確信したであろう。祖父、父、母らが次々と脱落。少年は一人神社に到着すると冷たい風をうけ、しばし桜を見つめる。さて折り返しだ。戻ろうとすると脱落した母らが自分の前を走り出す!なんと少年はビリでゴール。…少年が真の一位であることは皆がよく知っている。それをひっくり返して大笑いするような、そんなあたたかな関係を大切にしたい。本書は一位であるかどうか以外の様々な価値を描いている。70年代の風景もとてもよい。
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Posted on 2014/06/27 Fri. 21:33 [edit]

category:   7) 家族という空間

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『ゆきむすめ』感想  

(作:内田莉莎子、絵:佐藤忠良、福音館書店、1966年)子どものいない老夫婦。不幸ではなくても、少し寂しい。二人が雪で作った人形がニッコリ笑って走り出す。老夫婦は雪娘を大切に育てた。春になり、雪娘は友達と外で遊ぶのを嫌がる。老夫婦も心配である。友達に誘われ、たき火で遊んでしまう。ついに、娘は消えてしまう。夫婦の気持ち、娘の気持ち、友達の気持ちなどを想像すると、切ない。娘と出会えたことは幸せであるが、消えてしまえば悲しい。幸福と不幸が混在する。この微妙な世界観こそ、様々な複雑な感情が生まれる空間である。雪のように色白で、クールな女性はいる。なぜか魅力的に見える。
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Posted on 2015/11/21 Sat. 17:52 [edit]

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『いってらっしゃーい いってきまーす』感想  

(作:神沢 利子、絵:林明子、福音館書店、1993年)なおちゃんが父に連れられて保育園に向かう。保育園でままごと遊び、卵を買って食べる。お昼寝。母親が迎えにきて、買い物をして帰る。子どもにとってはいろんな発見や冒険の時間だ。風景の一つ一つに生活が描かれている。表紙の絵は、今日の朝であると同時に明日の朝でもある。一日の流れが同じで、安心できるからこのような笑顔になれる。会話が満ちているというのは幸せなことだ。子どもが不登校になる主な理由は、帰ってくる場所(家庭)が不安定だからだ。大人にとって繰り返しの平凡な日々は子どもにとっては豊かに冒険ができる世界でもある。
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Posted on 2015/12/23 Wed. 22:21 [edit]

category:   7) 家族という空間

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『まどのそとのそのまたむこう』感想  

(作・絵:モーリス・センダック、訳:わきあきこ、福音館書店、1983年)父が海へ出てしまい、母も外出のため、姉アイダは赤子の子守をする。目を離した隙にゴブリンが赤子を連れ去る。アイダは黄色いコートをまとって赤子を取り戻しに行く。本書はアイダの空想であるが、その中には、赤子の世話が大変なので放棄したいという心境、はやくパパに帰ってきて欲しいという心境が含まれる。おそらくアイダはホルンで曲を奏でながら空想しているのだろう。ゴブリンは、不安や恐怖を象徴していると思われる。赤子が邪魔だと思う悪しき心の現れでもある。向日葵やホルン等の黄色は、自分自身の冷静かつ正しいパワーを示している。
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Posted on 2016/01/06 Wed. 23:09 [edit]

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『ねたふり』感想  

(作・絵:小泉るみ子、ポプラ社、2006年)北海道の農場。少女は夏野菜の収穫でヘトヘトになり、ついに「ねたふり」をしてしまう。さぼりだ。みんなに申し訳ないという心境もある。納屋から覗くと皆がスイカを食べている。複雑な心境だ。日が暮れて顔を出す。誰もあのことを追及しない。何事もなかったかのように花火をする。…大人たちは、おそらく彼女が寝たふりをしていたということに気づいている。もし本当に昼間、疲れて寝ていたのならば、夜は寝られなくなるはず。全部知っているのに敢えて触れない。子に対して手伝わせて申し訳ないという気持ちもある。そこには奥深い優しさがある。
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Posted on 2016/02/18 Thu. 21:40 [edit]

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『おちゃのじかんにきた とら』感想  

(作・絵:ジュディス・カー、訳:晴海耕平、童話館出版、1994年)ある日、突然とらが訪問。(子どもにとって彼がとらに見えた?)おなかがすいたというので、母と子は彼に食事をふるまう。とらは家の食べ物を全て食べてしまった。子どもはじゃれている。迷惑な客であるが、「もう食べるな」「帰ってくれ」とは言えなかった。ついに食べるものが無くなってしまい、母と子は困る。とらが去り、父が帰る。家族で外食に出ることにした。外は寒くて暗いが、素敵なレストランで嬉しい。災難のようだが、心に余裕があるということは幸福である。とらは二度と来なかった。決してとらは反省しているわけではない。たまたま。
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Posted on 2016/03/10 Thu. 21:54 [edit]

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『日曜日の歌』感想  

(作・絵:長谷川集平、好学社、1981年)日記風に描かれる。ぼくが友達をなぐり、母親が先生に謝る。ぼくが隣の家の子を泣かせてしまい、父親が隣の親に謝る。そんなことが続く。家族三人で映画を見にいく。仲が悪いわけではないようだ。草野球で父がミスをする。父としてはプライドもある。威厳を保ちたいのであろう。つい息子の悪いところを指摘してしまう。かくして親子げんかになる。それを「歌っているところ」と表記する。ぼくにとっては歌っているようなものだ。嫌なことやうまくいかないことを背負いながらも、楽しいことも経験しながら、普通の暮らしが続く。まさに平和な日々だ。
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Posted on 2016/03/30 Wed. 21:15 [edit]

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『ウルスリのすず』感想  

(作:ゼリーナ・ヘンツ、絵:アロイス・カリジェ、訳:大塚勇三、岩波書店、1973年)少年ウルスリの紹介。山の小さな家に住む。厚い壁が印象的。農作業をよく手伝う。明日はお祭りだ。他の子たちは大きい鈴を受け取ったのに、ウルスリは小さな鈴。行列の最後尾は悲しい。ウルスリは、山小屋の巨大な鈴を使うことにした。山小屋でつい寝てしまって、朝になる。本来ならば深夜に家を離れ、勝手に鈴を盗んだのであるから厳しく叱られるところ。しかしここで父母はとても寛容だ。少年がふだん真面目に支えてくれているからであろう。本書は少年の心理を詳細に描く。自分なりに工夫し、努力し、カッコよくなれた。鈴は自己表現を象徴する。
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Posted on 2016/03/30 Wed. 21:16 [edit]

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