『いつだってともだち』感想  

(作:モニカ・バイツェ、絵:エリック・バトゥー、講談社、2000年)ベノという名のピンクの象が主人公。仲良しの象フレディが遠くへ行ってしまう。ベノは酷く悲しみ、落ち込んでしまう。死んだわけではないが、死別に近い。涙はどこから出てくるのだろう。周囲はなぐさめようとするが、うまくいかない。今、出来ることは何か。それは悲しみを自覚し、表現し、形にすることだ。悲しみを隠してはいけない。悲しんでいる自分を少し客観的に見つめてみよう。悲しみという一つの形を作り上げ、それを少し離れたところから眺めることが出来れば、背景や周囲が自然と目に入ってくるのだ。私たちの心は、常に動いているから。
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Posted on 2017/06/30 Fri. 22:35 [edit]

category:   5) 死の受容

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『くまとやまねこ』感想  

(作:湯本香樹実、絵:酒井駒子、河出書房新社、2008年)熊は小鳥が死んで深く悲しむ。小鳥との日々を思い出す。小鳥を箱に入れて持ち歩く。周囲は忘れようと声をかける。熊はしばらく孤独な日々を送る。天気のいい日にふと外へ出てみると山猫と出会う。山猫は小鳥を失った気持ちに寄り添ってくれた。山猫がバイオリンを演奏してくれる。思い出がよみがえる。熊は小鳥を埋葬し、もう悲しまないと決意する。熊は山猫と旅に出ることにした。死を受け入れるには時間がかかる。悲しみに共感してくれる他者が必要だ。「生きる」とは、過去の悲しみや死を乗り越えることであり、新しいことを始めることでもある。
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Posted on 2016/05/10 Tue. 22:08 [edit]

category:   5) 死の受容

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『ちいさなとりよ』感想  

(作:マーガレット・ワイズ・ブラウン、絵:レミー・シャーリップ、訳:与田凖一、岩波書店、1978年)小さな鳥が死んでいるのを4人の子どもが発見する。まだあたたかい。特に女の子は悲しんでいるようだ。絵の頁と文の頁が分かれているために絵はいっそう強烈な印象だ。絵をみながらどんな会話なのかを想像する。子どもたちなりの葬式。もう、飛ぶことが出来ない鳥。かわいそう。おそらく死を目の前にした時の素直な感覚だと思う。自分たちは凧を飛ばし友達と楽しく遊ぶ。他の鳥は飛んでいる。この幸福な感覚があるからこそ、それが欠如している「死」を、重く、深く感じることができる。そして時間と空間があるからこそ、ゆっくりと死を受け入れる。
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Posted on 2016/04/21 Thu. 21:40 [edit]

category:   5) 死の受容

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『なきすぎてはいけない』感想  

(作:内田麟太郎、絵:たかすかずみ、岩崎書店、2009年)ふんわりとした風景。亡くなった祖父の魂が、孫の周辺を漂う。祖父は、生前よく孫と一緒に遊んだ。その場面を思い返しながら、孫の気持ちを思いやる。孫は、とても優しくて泣き虫。寂しいのだから泣いてもいい。しかし泣きすぎてはいけない。わたしのことは忘れて、再びあの笑顔に戻って欲しい、そんなメッセージである。死そのものは悲しいことだが、このようにして子どもたちの未来を信じながら、命のバトンを渡しながら死ぬのであれば、幸せなことであろう。葛藤や醜いものは全て消え、優しい気持ちで天国に昇っていく。理想の最後かもしれない。
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Posted on 2016/04/21 Thu. 21:39 [edit]

category:   5) 死の受容

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『ずーっと ずっと だいすきだよ』感想  

(作・絵:ハンス・ウィルヘルム、訳:久山太市、評論社、1988年)おそらく本書は、犬のエルフィーが死んだ後に回顧する話。少年は犬のエルフィーと一緒に生きてきた。家族の一人として楽しい日々を送ってきた。そんなエルフィーが死んでしまう。様々な場面を思い出す。時々悪さをしたこともあるが、皆エルフィーが大好きだった。家族はエルフィーの全てを受け入れた。エルフィーもまた家族の全てを受け入れていたのかもしれない。少年は、ずっと大好きだよという言葉を繰り返し投げかける。動物は言葉を使わないので、人間の側が言葉を推察する。感情のつながりは強固になり、人間同士よりもいっそう家族的となる。
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Posted on 2016/04/07 Thu. 21:27 [edit]

category:   5) 死の受容

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『いつでも会える』感想  

(作・絵:菊田まりこ、学研、1998年)シロという犬は、飼い主のみきちゃんが大好きだった。しかしみきちゃんは死んでしまう。寂しくて辛い。目を閉じて思い描く。するとみきちゃんの声が聞こえてくる。心の中にいる。いつでも会える。私は否定的。みきちゃんは死んだのだから悲しい話だが、目を閉じて会えるからハッピーエンドなのだろうか。記憶や思い出があるから嬉しいのだが、死んだことは悲しいという話なのか。解釈が出来ない。そもそもみきちゃんとシロの思い出は何か。同じテーブルでごはんを食べている以外には殆ど描かれていない。好きという強烈な感情だけが表現されている。
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Posted on 2016/04/07 Thu. 21:26 [edit]

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『おかあさん どこいったの?』感想  

(文・絵:レベッカ・コッブ、訳:おーなり由子、ポプラ社、2014年)母の死に直面する父と子(姉と弟)。いるはずの場所にその人はいない。持ち物は残されたまま。なぜ母は死んだのか?子は自分のせいではないかと思う。死は究極の不条理である。生きる人間は様々な対話や祈りを通じて不条理に向き合う。おそらく死者はこう思っているに違いないと想像する。残された人間は死者と対話しながら、さらに周囲と対話しながら生きていく。本書はそのプロセスを描く。母はさぞかし無念だったと思う。本書は空白スペースを多くあける。黒ではない。その空白を、彼はどんな色で埋めていくであろうか。色鉛筆がそれを示唆する。
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Posted on 2016/03/20 Sun. 15:14 [edit]

category:   5) 死の受容

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『ちいさな死神くん』感想  

(作・絵:キティ・クローザー、訳:ときありえ、講談社、2011年)現実の世界と死後の世界とのいわば中間地点。ここで子どもの死神が働いている。彼は死んでもしにきれなかったのだろう。死神が、死んだ人間を死の王国につれていく際、皆おびえ悲しむ。人々は、人生がそこで終わるのが辛く、悲しいのである。死神は、それが辛い。もっと楽しく遊びたいと死神は思っている。それはおそらく彼が子どもの死神だからだ。エルスウィーズが死を怖がらないのは、病気がゆえに生きるのが辛かったからである。エルスウィーズは、もっと遊びたい。楽しみたいという気持ちがあって、死んでも死にきれない。そんな二人の出会い。
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Posted on 2016/03/09 Wed. 21:33 [edit]

category:   5) 死の受容

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『悲しい本』感想  

(作:マイケル・ローゼン、絵:クェンティン・ブレイク、訳:谷川俊太郎、あかね書房、2004年)自分の息子を失った悲しみを描く。親より先に子どもが死ぬということは、絶対的な悲しみだ。もう子は、何も語らない。誰かに共感してもらうことはできない。私の悲しみなのだから。かくして私は、悲しみに押し潰されてしまう。月日が経っても時折、悲しみの雲が襲う。私は、悲しみをなんとかして処理しようとするが、うまくいかない。何かでごまかすことはできないが、かといって向き合っても余計に辛いだけだ。本書では誕生日が描かれる。子どもに未来は無いのに私には未来がある。ある意味でとても残酷だ。この苦しみはおそらく私が死ぬまで続く。
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Posted on 2016/02/01 Mon. 22:52 [edit]

category:   5) 死の受容

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